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レビー小体型認知症だった母の眼科入院1<2018年>

3年前の話です。母の入院した際のあれこれを前ブログから移します。(2018年当時)

 

 親の病気

立て続けに両親が病気になったのは、2014年のことでした。

 

父は前立腺がんのステージ2、母はレビー小体型認知症。(2人ともこのような診断が下ったのは2015年)

 

https://yutaka-sukkiri.com/2015/07/13/oya-byoki-1/

 

(2018年)父のガンは治療が終わり、半年に一度検査に行くだけになっています。母は投薬で身体がこわばるパーキンソン症状をなんとか抑えてはきていますが、少しずつ症状が進んできているのは否めませんでした。

 

見えていない

 

夏に帰省した時、最近テレビを一生懸命見ていないなと感じ、聞いてみました。

 

「目、見えてる?」

「う〜ん、あんまり…」

 

やっぱり。白内障なのかな…

2年前に眼科に行った時は様子見だったようで、再診してみよう、と言うことになりました。

 

そうしたら、やはり白内障が手術して治したほうがいいレベルになってるとのことで、紹介状を書いてもらうことになりました。(その医院では手術できないとのこと)ここで、眼科を選ばなくてはいけなくて。白内障治療は入院する必要なく日帰りでできるところもあると知っていたのですが、母は認知症もあるので総合病院にしたほうがいいかなと、すぐそばにある総合病院に申し込むことにしました。

 

待たされる

そうしたら、2ヶ月待ちなんです。そして一気に両目はできないんです。片目ずつ、それぞれ2泊入院しなくてはいけないことがわかりました。

 

それでも、父もその病院への信頼が厚いし、ベストな選択だと思ったんです。その時は。

 

母は恐がりで不安そうでしたが、しょうがない、これで行くしかない、と周りはあまり心配しませんでした。

 

そうしてようやく近づいてきた手術日の前の週。

 

妹からLINEがありました。

 

精神的にくる

母の様子がおかしくなってきているというのです。身体も動かなくなっているし、会話でもあれ?と思うことが増えたと。

 

実はここのところ、私は忙しくしていてあまり連絡を取っていませんでした。今となっては悔やむばかりです。

 

これは推測でしかないのですが、母はいつも後ろ向きでネガティブな考えの持ち主で、いつも心配ばかりしている人です。今回の手術もあまり言えなかったんでしょうが不安でたまらなかったのでしょう。

 

父は昭和の人で頑固で決めたら絶対譲らない人。考えに偏りがあって、あまり周りのことを気づかない人。ずっとそばにいる母のことを分かるはずなのにわからない

 

手術への不安で精神的に参ってしまったのが病気の進行に拍車をかけたのかもしれません。言いたいことを言わずに済ましてしまう性格が体の動きと認知とを悪化させてしまったのかもしれません。

 

手術の前日

入院の日、直接病院に行きました。そこに居た母はひとまわり小さくなったようでした。手を触りましたが力は弱く動きも悪くゆっくりで、それまでよりもかなり悪化しているのがわかりました。なんとか一人で歩ける状態を見て絶句。

 

そこから長い一日が始まりました。

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お越し下さりありがとうございました。

あじさい