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政次と高橋一生について思うこと ~おんな城主直虎~


直虎38回の前に。

ちょっと書いておきたいと思いました。昨日までに発売された雑誌の内容を引用していますので、ネタバレ注意です。

 

 

政次と高橋一生

直虎が政次をずっとひきずっているように、私も含め視聴者の中にも整理できずにいる方がいるのではないかなぁと思っております。久しぶりに回想で出てきたし、龍の「前の男」発言もあったし、演者の高橋一生さんのインタビューで、33回の収録が終わったばかりの時の発言と最近はちょっと変わってきてるなと感慨深く思ったのでここでちょっと。

 

Twitterでもここでもよく書いてるのでしつこいかもしれないのですが、前置きとして、私には、ドラマや映画では、その物語の中が全てで、その中で感じたことわかったこと面白かったことを自分の中で咀嚼しながら余韻を楽しんだりああだこうだと解釈したりするのが好きです。今まではあまり演者の方や監督のインタビュー記事を積極的に読むことがなく、避けてたという側面もあります。

 

それなのに。政次が寡黙で、視線や表情筋は豊かなのに肝腎なことは言わなくて、なんなんだろうってこちらの想像をかきたてるし、政次を生きていた演者さんの考えてることが知りたかったし、8月くらいから関連の雑誌を全部買い漁っておりまして。

 

ずっと買っては積読だったのですが、政次の死から一ヶ月経ってようやく読む気になりました。そしてその当時のものと、最近発売されている雑誌に書かれてあることが微妙どころかだいぶ違ってきてるなぁと、高橋一生自身の中の変化が感じられることに驚きと喜びのようなものを感じます。

 

政次が直虎をどう思っていたかの直球の質問をAERA8.14号でされているときにはこう答えていました。

 

ーー非常に魅力的な役で、政次を「ベルサイユのばら」でオスカルを守るアンドレに例える人もいて。視聴者の思い込みと愚問を承知で聞きますが、直虎のこと、好きなんですよね。
 
「政次は、そこは理解できてないと思います」
 
ーー25話で、政次が熱を出した直虎の頬を触るシーンがありました。ネットでは女性のため息が充満していましたが。
 
「何も考えずにやったら、ほっぺたに手が出ちゃったんです」
 
ーーだから、それは好きだから…
 
「だから政次も理解できないんです。直虎のことが女性として好きなのか、人間として好きなのか、守らねばならない対象として好きなのか、わからないんです」

 

「何も考えずにやったらほっぺたに手が出ちゃった」というのもなかなかに衝撃的なのですが、とにかく収録が終わったばかりの彼は、直虎のことをどう思ってるか政次は「理解できてない」 という言葉を使っています。

 

更に、CREA9月号(クランクアップが前日のインタビュー)では、

 

「殿である直虎は陽で、政次は陰。政次は直虎を支えるために生きているように見えますが、直虎と一緒にいるという選択肢を選び続けることで、実は自分のために生きていると思うんです。それが恋であったのかもしれないですけれど。僕自身も、どんなに誰かのことが好きだとしても、その人のために生きることはできないです」

 

直虎と政次を陽と陰と言う言葉を使って表し、「恋であったのかもしれない」が政次は直虎を支えるという選択を自分のためにしていると言っています。「恋」かどうか、やはり肯定はしていません。

 

それから、TVガイド8.19版では、

ーーある種一心同体にあった小野政次という人に、もし言葉を掛けるなら何を言いますか。
 
「(略)ここまで役と添えることはなかなかないんです。そのくらい長い期間、政次と一緒に過ごし、寄り添って歩いてきたので、思考が彼に近くなっていて、政次と自分が分離できない次元にきてしまったのもあると思うんですが…どうしても客観視できなくなってしまっていて。なので、『今は我慢しようね』とか、『今は言うのをやめておこうね』と、自分に語りかけるような感覚が、出番が終わりに近づくにつれて少しずつ加速していった気がします。感覚的なことなので、うまく説明できないのですが… 掛けたい言葉というのは考えてなかったですし、今は思いつかないというのが正直なところです」

 

役に同化し過ぎて揺らぎのようなものを感じられ、まだぼんやりとしているように思えます。

 

 

それが、最近発売された雑誌やネットニュースには…

 

「政次は自分のことより、つねに『井伊家のために』ということを優先する男です。最期も直虎のために自らを犠牲にしましたが、政次にとっては最高の死に方だったと思います。直虎への思いも結局、胸に秘めたままでした。けれど二人にはそれがベストな関係だったんじゃないかと。実際、相手をいとしく思っていても肉体的なつながりを持つべきじゃない場合ってあると思う。むしろそれでいいと思える人って、ある意味、特別な存在というか。肉体ってそばにあるからついさわりたくなるけれど、それをやらないことで生まれるものって絶対ある気がします」

 

SPUR11月号 

 

まず、犠牲になったのは「直虎のため」と明言しています。思いは胸に秘めていた、とありますが、「相手をいとしく思っていても」と「いとしく」という言葉を使っています。そして「肉体的なつながり」というかなり突っ込んだ言葉も使っています。政次がそう望んでいながらもそうしなかった、ともとれる、かな。

 

 

そうして生まれたキャラクターは「ずっとこの役と一緒にいたい」と思うほどだそうだ。
「たぶん自分のなかにフィードバックできる人格だからでしょう。それはドラマも映画も変わりません。これまでの人生で得たものを役に与え、そのフィードバックが僕の人格のひとつとなり、さらに役に注がれる。そのサイクルなんです。芝居をしていて虚実ない交ぜになってしまう感覚がとても楽しい。実際の体験ではなくても『以前愛する人から槍で刺されたんだ』みたいな(笑)。そうした外圧によって密度を高める一方で、僕というものはどんどん小さくなりたいと思うんです。」
 
GOETHE11月号

 

以前愛する人から槍で刺されたんだ」

!!!!!これは… こんな超弩級の言葉にはかなりびっくりしました。高橋一生から「愛する人」という直球な言葉が出て来るとは思ってはいなかったので… 槍で刺された、という表現はもう33回が放映済みの時点で出せるとは思うのですが、「愛する人」というのをわざわざつけるというのが、もうほんっとに驚きでした。(この驚きのためにこの記事を書いてるといってもよいです…)

 

 

いろいろ理由はあると思うのです。8月20日が政次最期の回でしたから、その前には一切情報を出せないという外からの制限と、そして、たぶん彼自身が政次とリンクし過ぎていて(様々なインタビューで伺われます)収録が終わった直後にはこころが政次過ぎて、その思いが本当の意味で「理解できてなかった」のかなと。

 

放映も終わり、だんだんと政次から違うお仕事で違う人物になっていくうちに、そこにあった直虎への気持ちがようやく浮き上がってきて、それが最近発売の雑誌のインタビューに垣間見えるのかなぁとひとりで勝手に思っています。

 

「政次」と一緒にいた時間が長かったので、いまだに思考も彼に近いままなんです。撮影が終わったと自分に言い聞かせても、当分は自覚がないまま進んでしまいそうな気がしていて…。

 

デジタルTVガイド9月号

 

という思いから、下記のように

 

「政次は本当に、僕にとって重要なものになっているんです。1年近く彼とやってきて、とても多くのことを学べたし、彼をもう自分の血肉にしちゃっている。『わー、これが僕が望んでたことだ』って思うんです。つまり、あれだけの密度のものを僕と同化させようという作業を無意識にしていくと、彼を通した目線みたいなものが、僕自身へのフィードバックになっていった」

 

SODA11月号

 

 

発売初日にいきなり1万枚以上の注文が入り、品切れの店が続出。現在も追加生産中だ。高橋は「ただただ、ありがたいと思っております。こういった形でも反響をいただけたことは、心からうれしく思っております」と感謝している。さらに「撮影が終わり、抜け殻のようになっていましたが、この作品集を聴いてやっと、鶴(=幼少期の名前)と政次を、自分の一部にして次に進もうと思えました」と話している。

https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201709260000053.html

 

一定の時間を経ながら「鶴のうた」を聴き、鶴と政次がやっと自分の一部になった、まさに役を自分にフィードバックさせ、そしてそれをまた次の役ヘと注いでいくんだろう。だから、政次は死んでしまったのだけれど、高橋一生という役者さんの中では生きていて、そうした虚実ない交ぜの状態を楽しみつつ、それが次へと繋がっていくんだと考えたら、政次がより愛おしく、そういう存在を作った脚本家さんにも、政次を生きてくれた彼にも、政次というキャラクターそのものにもほんとに感謝しかないです。

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政次の喪失を乗り越えて、新たに始まる最終章を、草葉の陰からこっそり伺っているだろう政次の影を感じながら楽しみにしています。

 

終わりに

相当数のインタビューを読んだのですが、高橋一生というひとの言葉はつくづく楽しいです。「量子」とか「外圧」とか、難しい言葉を使うのもそうだし、ひとつひとつ感情の説明の仕方が丁寧で、どうやって相手に伝えようかを一生懸命考えて言葉を掘り起こしていて、真摯です。

 

ただ、「死んでもいい」っていう言葉をたくさん目にすると(単に一斉取材で同じソースを違う媒体で読んでるだけなのですが)え、ちょっと待って、と。昨日発売されたNumero Tokyo 11月号でも、ふらっといなくなってしまいそうな雰囲気が感じられて、彼の哲学的な思考や生き方そのものに驚かされ目が離せません。

 

ドラマや映画はその中だけで完結すべきと思っていた私の考えが180度覆されました。頑なな考えを壊してもらって良かったと思うし、いろんな楽しみ方があっていいなぁって思っています。

 

あ、それから、囲碁の白黒は陽と陰を表すというのを以前に調べていて、まさに政虎だ!と思っていたので、ご本人から直虎は陽で政次は陰、というのを聞けてとても嬉しかったことを付け加えておきます。

 

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http://yutaka-sukkiri.com/2017/06/04/naotora-21-3/

*************** お越し下さりありがとうございました。

あじさい