卒業式の効用
今日は卒業式でした。
式って必要かな
厳かで形式ばっててきちきちっとした式。入学式卒業式もそうだけど、学期ごとにも始業式終業式があって、いちいち校長とか主賓とかの挨拶が続くの。
それがまた面白いものなら聞く気にもなるんだけれど、まぁだいたいがつまらない。
去年も卒業式に出たのだけれど、その校長のはなしがまたまたひどくて、PTA総会などいろいろ話を聞く機会があったけれど何を言ってるのか言葉が上滑りしているうえに、口を開けばグローバルがどうとかこうとか。
内容のない上っ面だけの話に終始していてほんと苦痛でした。
ぼおっとしていて
そんな去年の上の娘の高校の校長に比べたら、今日の校長はまだまし。当たり障りのない式辞に徹してる感がすごくて反対にすごいな~と思ったんですけれどね。
なんかそういう話を聞いてるとぼおっとしてくるんです。それって結構普段の生活にはない時間なものだから、いろいろ考えが浮かんだり沈んだりするわけです。
で、やっぱり卒業式だし、ここまでの道のりみたいな、生まれたときの頃からいろいろあったよなぁって走馬灯のように頭にやってきたりするもんなんですね。
送辞答辞が良かった
そうしてるうちに、在校生代表の送辞になって、これがね、上手なんです。読み方も内容も、おとなの方々に比べたら雲泥の差。
不覚にも目がうるうるしてきました。
式なんてな~と思っていたのに、思わず泣かされました。もちろん美辞麗句を駆使してるわけで、はなし盛りすぎじゃないのとか意地悪目線な私もいないわけではなかったんですが、それでも送辞答辞とも、素敵でしたよ。
17,18歳の瑞々しい感じが溢れていて、去年の式よりこころに残りました。
区切ることの意味
いろんなことばのシャワーを浴びてぼおっとしたり涙していたら、ふと思ったんですよね。
ああ、こうやって区切るのか、と。
退屈でおもしろくもない式だけれど、そんな意味のなさそうに見える儀式にも意味があるとすれば、それは、今までとこれからを区切って、さあ次へいくか、と進んでいくことを楽にする力があるのかもしれないな、と。
あの1時間ちょっとの式の時間は、今までを振り返り、それまでの自分をそこへ置き、これからの扉を開く、そういう、自分自身に相対する時間、親にとってもね。
だから、こういう形式ばった卒業式みたいなものにもきっと効用があるんだなって思った一日でした。
去年はそんなこと思いもしなかったのにね。やっぱりこんな年になっても成長してる?笑
*日々の暮らし手帖
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