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私の乳がんのはなし 3 <ホルモン療法の薬は効いた!しかし…>

こんにちは。あじさいです。

病気の話の続きです。

これまでの経過はこちらで。

https://yutaka-sukkiri.com/2022/01/26/disease/

https://yutaka-sukkiri.com/2022/03/16/cancer-2/

3月8日(火)B病院3回目受診

手術はせずに薬で様子を見ると決めたのが2022年1月25日(火)。そこから6週間後の3月8日(火)に受診しました。

 

副作用はありません、と伝えたら、まだ6週間くらいでは出ないですね、と。

 

超音波で診察。がん細胞は小さくなってきているらしい。おお、良かった。薬が効いている。

 

閉経後の女性に使うホルモンの薬。アロマターゼ阻害薬。

https://www.ncc.go.jp/jp/ncch/division/pharmacy/010/pamph/breast_cancer/090/index.html

ホルモンそのものを出ないようにします。

 

この時点で薬が効いてることがわかってかなり安堵しました。3月末に発表がある次女の試験のこと、未来が不明瞭でそのことだけが気がかりな日々でした。

 

そして前回書いたように彼女は合格し、今社会人になって働いています。嬉しい反面、私には長い空の巣症候群のようなものが来たようで、ブログを書くのも全く意欲が出ずにいました。

 

4月末からGWにかけて

1年半ぶりに複数の友人たちと会って飲んで喋りました。私の病気のことも話しました。

 

GWには実家に帰り、母の三回忌も済ませました。

 

なんとなくここら辺から気持ちが上向いてきたように感じます。

 

副作用について

4月半ばくらいかな、右手、右手首、指に違和感が出始めたなと気づきました。やはり利き手なので酷使しちゃってるなと思いつつ、なんとかやり過ごしてきましたが、受診の前日、痛みが酷くなり、何もせずに黙っていても痛みがじんじんするように。

 

寝る時に痛みがあって眠れず、鎮痛薬を飲みました。

 

車を運転する際にハンドルを回すだけでも痛いし、家事全て、生きていること全て、私たちは手をどれだけ使っているのか初めて知らされたような、いつもと違う世界にいるように感じました。

 

それくらい痛みは生活にとてつもなく大きな影響を与えるし、手の痛みはさまざまな行動を阻みます。

5月10日(火)B病院4回目受診

痛みを感じながら運転をして病院へ。

 

前回と同じように超音波の検査。

 

また更にがん細胞が小さくなってきているとのこと。おお、良かった。

 

そして医師に手の痛みのことを伝えました。ものすごく痛いと。そうしたら、薬を変えてみましょう、と提案されました。

 

今度の薬は、ホルモンを出ないようにするのではなく、がん細胞の中のエストロゲン受容体に蓋をして増殖しないようにするイメージ、らしい。

https://www.ncc.go.jp/jp/ncch/division/pharmacy/010/pamph/breast_cancer/100/index.html

 

副作用に関節痛の項目がありません。

 

すぐには効かないかもしれないけど関節痛が和らいでくるとのことでした。とにかく今飲んでる薬はもう飲まずに新しい薬へ。

 

私はこの右手の痛みがなくなってほしい、それだけ。

次の日

ありがたいことに痛みがもう和らいでました。ほっ…

 

ここ数日、家事も最低限だったのが、俄然やる気になりました!体も動くし、気分も明るい。痛みがないって当たり前だと思ってきたけど、違ったんだなぁ、ほんと体を動かせる、右手で車のドアを開けられる、冷蔵庫も開けられる、鍋も持てる、やかんを持ってコーヒーを注げる。

 

全てが当たり前じゃなかったんだ… 涙

 

という感じです。

 

こうやってパソコンも打ててるし、マウスも使ってます。痛みがないと心に安寧がもたらされます。

 

全然痛くないっていうわけでもないんです。だましだましやり過ごしてるっていう感じ。それでもあの痛みに比べたらもう全くオッケー!!!!

 

喉元過ぎれば熱さ忘れそうですが、いろんな不安や不満が高まってきたとき、痛みなく日々過ごせてる、それだけでも十分だよあなた、と思い出そうと思います。

 

みなさんもどうか日々穏やかにおいしいものを食べ、行きたいところに行き、作りたいものを作れていますように。

 

ドラマや映画や文章に触れたいとまた思えるようになってきたのも嬉しいことです。

 

それでは。

あじさい

空の巣症候群なんだなぁ…きっと

こんにちは。ほとんど2ヶ月ぶりですね。ご無沙汰しておりました。お元気でお過ごしですか。

 

私はというと、タイトルにも書きましたが、空の巣症候群のようなものを拗らせております。ここにはあまり子供の話は書いてないんですが、下の娘がある医療資格を取るために1年間宅浪をしていました。

 

その試験が2月にあり、その後発表まで1ヶ月半。3月の最終週に合格発表があり、無事合格しました。

 

内定をもらっている所に4月1日に就職し、1ヶ月ちょっと過ぎました。

 

ずっと手のかかる子供だったので、喜びもひとしおなんですが、子供が手を離れて自立することは嬉しさ半面、自分の来し方行く末を突きつけられてかなり精神的に不安定になっていました。

 

上の娘が、大学入学のために上京して親元から離れて一人暮らしを始めた時にも同じような状態になった記憶があります。ただその時はまだ下の娘がいたのでそれほどまでではなかったんだな、と今さらながらどれだけ子供に依存しているんだ私…と頭を抱えております。

 

子供が生きがいのような人生になっていたことをこの後に及んで理解し、さてこの先まだまだ人生長いぞ… と途方に暮れていたというのがこの2ヶ月でした。

 

親バカな文章になると思うので先に断っておきますが、上の娘は私ができなかった一人暮らしを大学に合格することで叶え、下の娘は小さい頃からの夢を決して諦めず資格を得て、居たいと思う場所で働き始めました。

 

たぶん、悔しいんだと思います。私がちゃんと自分に向き合ってこずにその時その時を流してすぐに諦めここまで来てしまったことを突きつけられてとても苦しいんだと思うんです。

 

うらやましい!!

 

きっとそんな感情のせいで精神的にめためたになってしまっている部分があるんだと思っています。

 

でも、最近ようやくNetflixでドラマや映画を観ようと思えるようになりました。何ヶ月かぶりに映画館にも行きました。

 

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」だけは1月から欠かさず追っています。とても好きです。

 

明日は1ヶ月半ぶりに病院に行く日。良い報告ができるといいな。

 

それでは。

あじさい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1週間で捨てたもの 24

こんにちは、あじさい(@hydrangea_11)です。

 

先週、震災から11年となった同じ3月に大きな地震が同じ場所で起きるなんてほんと天災は非情。

 

コロナに戦争に地震。何か明るいニュースはないものですかね…

 

2月28日(月)〜3月11日(金)

義母のもの。

がんばって整理しました。参考書いろいろ。しかし捨てられないものも多い…

いろんなお店のカード類。放っておくと溜まるばかり。

履かないで随分経つコンバース

買った時のことまだ覚えてる。15年前。劣化してるのとブーツがそれほど必要ではなく、ここ数年履いてません。

無印良品のもの、3年前かな。もう既に裏地はぼろぼろ。でも暖かいのでだましだまし履いておりましたがもう限界。

 

以前から図書館が好きで、高校生の頃友人と一緒に勉強したり、学生のころはよく勉強しながら突っ伏して寝てたり、本がある場所ってそれだけで落ち着きます。

 

うちはラッキーなことに自転車で行ける場所に図書館が2つあります。ひとつは自習できる環境がいまいちなので借りるだけですが、もう一つはかなり大きな図書館で机に照明も付いていて、隣に人はいないし、読みたいと思ったら本は読みたい放題だし、天井は高いし、喫茶店もレストランもあるし、良いです。

 

今はここがお気に入りの場所。みなさんはそういう場所ありますか。

 

それでは。

あじさい

私の乳がんのはなし 2 <全摘と言われたけれど>

こんにちは、あじさい(@hydrangea_11)です。

 

前回の続きを書きます。

 

https://yutaka-sukkiri.com/2022/03/14/breastcancer-1/

 

1月18日(火)

B病院(大学病院)へ、紹介用にもらったプレパラートや情報の入ったCDなどを持っていきました。

 

予約は9時半。まずは問診はなく超音波検査。血液検査。次は11時半が問診の予約。待って待って待って待ちました。

 

スマホは見てもいいんだけれど、電池がなくなるところまでいってしまい、本を持ってくればよかったと後悔。

 

よばれたのは13時くらい。

 

40歳前半くらいの男性医師でした。聞きたいことを全部メモしていき、ノートを取りながら話を聞きました。

 

まず言われたのが、がんは一箇所ではなく、散らばっているということ。ひとつの見やすい大きな塊が2cmくらいで、ほかに石灰化した小さいものが無数にあると。

 

私の場合、いわゆる「しこり」的なものではなく石灰化したものが散らばっているので、それを全部取ろうとした場合、乳房温存手術は無理で、全摘するしかないとのこと。

 

ちょっと頭が白くなりましたね…

 

A医院で全摘しなくても良さそうという話を聞いていたのでそこらへんはあまり心配してなかったんですよね。それが全摘とは…

 

あとは、乳房再建するか否か。再建に自分の身体の一部を移植するかそれとも人工物を使うか、同時再建するかどうか、などを考えなきゃいけない、などなど聞いてるときも気持ちが体から抜けていっているような感覚でした。

 

前回偽陽性で再検査になっていた、

HER2(がん細胞の増殖に関係するタンパク質。 HER2タンパクが乳がん細胞の表面にたくさん存在しているタイプが、HER2陽性乳がん

については、陰性ということがわかり、それはホッとしました。

 

リンパへの転移もないとのこと。

 

「手術は当たり前」という流れもあって、手術日と乳房再建のための形成外科受診予約もしました。

 

その上で最後に私が聞いてみたのは、手術をしない選択肢のことです。

 

検査でわかった私のがんの性質は穏やかであるということを踏まえ、手術せずにホルモン療法のみで様子をみるのはありか?です。

 

そうしたら、それもまぁありですね、と。何にもしないのはダメ。ただ、ホルモン療法で効果が出ないようだったら手術を考えないとだめです。との回答でした。

 

1週間後の1月25日(火)に受診予約をしてその日は終わり。

 

この結果があまりにもショックでショックで落ち込み、家族にも伝え、この日から3日くらい、ずっと考え続けました。

 

何が一番良い選択なんだろうか。

 

  1. 手術をする、全摘をしてがんを取り除く。

その場合、乳房再建するか、人工物を使うか。再建せずにそのままにするか。決めないといけない。

取り除いても5年くらいはホルモン療法を続ける必要がある。(これは本の情報)

 

2. ホルモン療法(ホルモンが出ない薬を飲む)で様子を見て手術はしない。

がんはそのまま残る。薬が効かない場合は手術になる。

 

やっぱりがんを取り除いた方がいいかな…と言う方向に気持ちが揺れたり。でも、手術後の痛みや後遺症を考えると嫌だ… 本には、再建してもまた不具合が出てくる可能性があることも書いてある。

 

再建するには入院2週間。なしなら1週間。長い。

 

手術しかないという医師の態度であるなら、選択する余地すらなかったと思うんですよね。もちろん。

 

穏やかながんの性質と医師が手術なしで様子見もありですね、と言ったこと、5年経ってこの大きさになったものが、この先それほどすぐに大きくはならないだろうということ、手術をしての副作用や痛みを抱えて生きていくよりも、まずはホルモン療法で様子見てもいいんじゃないか、と思いました。

 

形成外科の予約をキャンセルし、手術はしないでホルモン療法のみという自分が選んだ方法を家族も尊重してくれました。

 

この数日間で、自分の死についてかなり考えましたね。すぐにやってくるはずがないと思い込んでいたものが、結構近くに感じられ突きつけられました。

 

自分はどうしたいのか?

 

それまで我慢していたことや、そのうちやろうと思っていたことなど全て先送りするのはやめようとも思えたし、いつまでも変わらない日常が続くわけじゃないと痛感もしました。

 

1月25日(火)

 

予約11時半。この日は30分くらい待って問診。

 

医師に、手術はしないと伝えました。それほど驚いた風もなく、薬の処方、MRI(2月18日予約済み)の確認等々淡々と。

 

質問をいくつかしました。

 

ホルモン療法の効き目はどうやって確認するのか?

ー半年くらい。超音波で確認する。

 

手術した場合にホルモン療法が必要な理由、いつやめられるか。

ー再発させないため。10年くらいは必要。(本の情報よりも長い)

 

手術なしで受診はどれくらいおき?

ー最初は6週間。その後は三ヶ月くらいおき。

 

クオール(更年期症状を楽にするためのサプリ)は飲んでもいいか。

ー飲んでもよい。

 

処方箋をもらい、次回は3月8日(火)に予約をし終了。

 

次回は薬を6週間飲んでみて副作用がないかどうか、確認をするとのこと。

 

はぁ。ホッとしました。自分の選んだ選択肢が正しいかは誰もわからないけれど、薬が効いてくれますようにとの思いで、割と明るい気持ちで病院を後にしました。

 

がんだとわかってから17日め。ようやく気持ちが安定してすっきりしたのを覚えています。

 

今日はここまで。それでは。

 

あじさい

私の乳がんのはなし 1

こんにちは、あじさい(@hydrangea_11)です。

 

年明けに乳がんだと分かりました。

備忘としてどんな経過でこれまで来たかを書いておくことにします。

 

11月初旬、1年に1回の検診を受けました。30歳から毎年受けています。

 

12月初旬、検査結果が届き、乳腺のみ要精密検査とありました。なんか嫌な予感はしたんですよね。左胸に違和感もあったし。

 

すぐに乳腺外科医院(A医院)を予約し、当日受診。そこでもマンモグラフィと丁寧な超音波検査をしました。余談ですが、検診の時のマンモとは比べものにならないくらい痛くなかった。ちょとびっくりしました。

 

最新の機械であればそれほど痛みないんだなぁ… 。痛みがいやで検診を避けてらっしゃる方も多いかと思うので、どこで受けるかで痛みを少なくできそう。

 

で、ちょっと待ち時間があり、そのまま超音波の写真を見ながら医師の説明を受ける。良性です、と言われるのを期待していたら、癌なのか癌ではないのか、はっきりわからないとのこと。クリアにするには生検を受けるしかない、と。

 

もう選択の余地もないので生検を予約。2週間後に受けることになりました。

 

2021年12月20日(月)

痛いんだろうな生検…と思ってたらやっぱり痛かったです。麻酔自体がねほんと鈍〜く鈍〜くず〜〜んとね、痛かった。

 

麻酔が効いてからは痛みはなかったけれど、麻酔が切れてからが痛みがやってきて夜、痛み止めを飲みました。

 

マンモトーム生検

https://www.devicormedicaljapan.jp/mmt/exam/mmt.html

 

年末年始をはさむので、結果は年明けとなりました。

 

この間、長かかったなぁ。いつもの年末年始ならちょっと気持ちはウキウキするはずなのにどこか気持ちが落ち着かなくて楽しめなかった記憶が。

 

1月7日(金)

病院の診察室に入り、生検の後の痛みはどうですか、と医師に聞かれたとき、ああ、これはがんだなと思いました。

 

良性ならたぶんすぐにそれを伝えるでしょう?

 

で、悪性だったと伝えられ、(医師は伝えるのほんときついだろうなぁ)どんな種類のがんなのか、現時点でわかる範囲の情報を教えてくれました。

 

ホルモン受容体(ホルモン薬を飲む療法が効くかどうか):陽性(効く)   HER2(がん細胞の増殖に関係するタンパク質。 HER2タンパクが乳がん細胞の表面にたくさん存在しているタイプが、HER2陽性乳がん):偽陽性(要再検査)   Ki-67タンパク質(細胞増殖能マーカー、高ければ高いほど増殖する):5〜10%(穏やか)   核異型(がん細胞のや組織の異型度(正常からのへだたり具合)を示す分類。 乳がんとしてのたちの悪さ(転移・再発のしやすさ)を言い表し、細胞診の結果をグループ分けしたもの。 グレード分類は1から3の3段階に分類されていて、大きな数字ほど悪性度が高い):Grade1(穏やか)   がんの大きさ:Stage1と2の境目くらいじゃないか?2cmくらい。  

以上の情報を得ました。HER2に関してはもう一度詳しく再検査をしなければいけないとのことでした。陽性より陰性の方がより穏やかなので、陰性だといいな…

 

そしてこちらの医院と提携している大きな病院を紹介してもらうことに。

 

いくつか可能性がある病院のうち、予約がいちばん早くできて、行くのがそれほど大変じゃない病院。

 

そして大事なことがひとつ。乳房を全摘した場合に、乳房再建を望むかどうかでも病院が変わってきます。摘出手術と再建を同時手術が可能な病院もあるんです。

 

その時点で、医師が言うには、私のがんは大きさ的に全摘をしなくても乳房残しつつ手術ができるのではないか、と言われました。

 

ただ、詳しいことは大きな病院でMRI等受けないとまだわからないので、いろんな選択肢が広い方がいいと考え、再建同時可能な病院を選びました。

 

本当は家から自転車で5分くらいの病院も選択肢に入っていたのだけれど、どうも予約が相当先になるそうなので諦めました。残念。で、車で30分くらいにある大学病院(B病院)にしました。

 

この病院決めまでをその日のうちにやり、予約日が決定したら電話をしてくれることに。

 

最後に、どうしても聞きたいことがあってそれを質問してみました。

 

私は30歳の時から毎年乳腺検査を受けていて、40を超えてからはマンモグラフィをしています。

 

もちろん去年もやっていて、再検査にはならかった。

 

そういうものなんだろうか?一年の間で大きくなるんだろうか??

 

医師が言うには、私の場合はゆっくりゆっくり大きくなっていると。去年はそれがひっかからなかった。今回もわかりにくかったけれどなんとか見つけられたと。

 

どうも5年くらいかけてここまでの大きさになっているんじゃないかと言われ、かなりかなりびっくりでしたよ。

 

5年前からずっとがんがあったんだね…

 

夫や子供たちも心配していたので、すぐにLINEで伝えました。心配かけたくないなぁと思いつつ、でも事実だからしょうがない。

 

穏やかながん(なんか変な言い方だけど笑)。そして手術しても全摘じゃないだろう、という所見。それに救われて次のB病院に行くまではそれほど動揺せずにおりました。

 

紹介用に持っていく資料等が用意できるのが1月17日(月)、その日にまたA医院に行き、B病院の予約は1月18日(火)となりました。

 

この続きまた書きます。

 

あじさい