六左回 〜41回 おんな城主直虎〜
罪と罰回の木材泥棒騒ぎが長篠の戦いにまでつながっているとは…!!
あらすじ
小姓になるための条件として草履番の後釜を育てることになった万千代(菅田将暉)と万福(井之脇海)。そこにやってきたのはノブ(六角精児)という謎の中年男だった。一方、直虎(柴咲コウ)は松下家から帰還した六左衛門(田中美央)を近藤(橋本じゅん)の家臣とするため尽力していた。そんな中、武田軍の遠江侵攻が始まる。家康(阿部サダヲ)が戦支度のため大量の材木を必要としているという情報を聞きつけた万千代は、初陣を飾るため材木の切り出しを井伊に要請するが・・・。それを聞いた直虎は方久(ムロツヨシ)を介して家康に書状を届ける。そこには井伊谷の木は近藤家のものであるため、万千代の申し出に乗らず、役目を近藤に託してほしいと書かれていた。家康は直虎の言い分に納得し、木材の調達を近藤に任せるとともに、初陣をとせがむ万千代に留守居役を命じる。
第41回「この玄関の片隅で」|あらすじ|NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』
六左の幸せ
六左が武士として持つ苦しみは直虎が当主として立ったすぐ後に描かれていました。直虎をおなごだなんだと之の字がやいのやいの言ってる傍で、同じように思っているのかどうなのか、なんとも自分の思ってることをはっきり言えない六左衛門。
大きくて力持ちで優しいけれど武士としての能力が…
14回「徳政令の行方」で直虎の当主としての姿勢を目の当たりにしてこれまでどんな思いでいたかを発露しました。
六左「某は、某は武術はからっきしにございます。それどころか馬も下手で実の父からも愛想をつかされるほどのできそこないにございます。故にせめて、せめて、苗の植え方をこれからの井伊のために覚えとうございます、殿!」14回「徳政令の行方」
この時、武術が得意ではない六左は武士としてではない井伊への奉公をしっかり考えてました。そして初めての「殿」呼び、41回を見た後に再度見ると、すごくじわじわきます…
武士としての力量がなく、親からも愛想をつかされる。属性への結びつきが強固だった中世の時代に六左のように悩み苦しんでいた人たちもたくさんいたんだろうか… 英雄だけじゃなくこの六左のようなキャラにスポットライトを当ててその苦しみとか喜びとかがその時代だけじゃなく普遍的に見えてくるのが良いなぁ。
六左だけじゃなく。氏真も、直虎も、自分の生まれの宿命に悩み、政次だって方久だってなぜわざわざ嫌われるような境遇に生まれたのか恨んだりもしただろう。でも、そこからどうやって生きていくのかを皆見せてきました。
今回、六左が直虎から、もう武家は辞めて百姓や商人になったらどうかと提案された時に、それでも武士として一度は武功を立てたい、と力強く六左が言ったのには涙腺が緩みました…
私はへたれですぐ諦めてしまう質なので、六左の強さには唸りました。六左は以前にも、但馬から殿の居場所を聞かれた時にも話してしまったり、牢に入っていた龍雲丸を監視しなければならないのに吹き矢で眠らされて脱獄を許したりだとか失態続きなことがあり、いつの日か六左に日が当たって活躍するお話があるといいなぁと思っていました。
今週は、龍雲党から得た木材切り出しの技で近藤殿に力を認めさせて溜飲を下げられたし、どうも来週はその木材が戦場で効果的に使われるみたいで…
そしてやはり直虎。六左は殿が直虎であったがゆえに幸せな家来でいられたし、直虎も真っ直ぐで忠義に厚い部下を得られたからこそ思いのままに当主でいられた。
私は、15回で今川へ出向いた直虎が寿桂尼から虎松の後見を認められ、城外に六左が迎えにきた場面がとても好きです。
虎「六左!」
六「はい!」
虎「戻るぞ!井伊へ!」
六「はい!」
直虎は認められた喜びに溢れ、六左は殿を頂いて仕えることの嬉しさに満ち、これからの道が険しくとも明るい未来が感じられてしみじみ主従の尊さを感じました…
その喜びと相反するように、31回では、徳政令を受け入れ文書に署名をした直虎がぼんやりと出てきたときに待っていたのは六左でした。
六「殿、戻りましょう」
虎「うむ」
六左が迎えにきて直虎に声をかけるこの場面、15回の場面が思い出されて泣けて泣けてしょうがなかったです… あの時のはちきれんばかりの笑顔との対比をこうやってもってくるかぁ…とぼうっとしてしまいました…
次世代の話しに舵を切っていながらも、こうやって六左の活躍の回が見られるのは本当に嬉しいです。ずっと見てきた視聴者へのご褒美のようなものかな。と。
直虎の政次化
イノシシの直虎はもうおらんのじゃなぁ…
と言いたくなるほど、直虎が落ち着いていて、近藤殿をおだてて上手に使いつつ、若い虎松の暴走を止める。まるで、まるで、彼の人みたい。
先走っていて道理も情も欠きがちな虎松の暴走を裏から手を回して止めたのはもう、政次そのものじゃないか?近藤殿に知られぬよう、虎松が逆らえぬよう家康に文を出す。家康はすこし直虎へあの時の貸しみたいなものがあるから断れないということも見抜いている。ような。
方久を使いに出したのもひとつの策かなと。家康が方久の願いを無残にもつぶし気賀の城を嬲り殺したことを利用している、ような気がします。方久の「私怨を乗り越え」という言葉はいろんなものを思い出しました。
直親が死んだ時、悲しみと政次への恨みと自分への不甲斐なさに打ちひしがれたときに
南渓「己を責めたとて死んだ者は返らぬ。じゃが、生きておる者は死んだ者を己の中で生かす事ができる。例えば、偲ぶ事で、例えば倣う事で、時には倣わぬ事で。他にはないかのぅ」
直虎「亀にこの身を捧げる。亀の魂を宿し、亀となって生きていく」
直親を現身として生きていくと決心した直虎。これまでも書いたように、槍を突いたときに政次を自分の中に入れた直虎はふたりを現身として生きてるんだと思います。そして「倣う事で」という和尚のこの言葉がずぅっと通奏低音のように響いて
いて、 井伊の為に亡くなっていった全ての人を包み込んで井伊谷があるんだなぁと。
木材騒動の因果
しかし木材の泥棒騒ぎが政次の死にも関係し、六左を活躍させ、そして長篠の戦いにも繋がることになるとは、あの回で誰が予想できたでしょう… こう、長いドラマの中での横糸?縦糸??井伊谷の大事な財産であり産業であり、切り出す為の技術は大事な宝で、そこに絡む騒動をここまでさまざまな領域に広げ繋げていくというのは、一年という長いスパンで描く大河ならではですね。
「因果」というのがこのドラマでのひとつのテーマだと思うのですが、「因果」な木材が井伊にとってどういう結末を見せるのか、多分来週それが見れると思うのですが、予告を見ると六左と之の字がふたりで活躍するようで、今から泣きそうです。
万万コンビの事も書きたいのですが、今回はここまでにします。
お越し頂きありがとうございました。