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直虎の死そして龍の存在意義 ~36回「井伊家最後の日」~

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最後の10分でいろんな事が起きますよね、このドラマは…

 あらすじ

36回 「井伊家最後の日」

徳川家康阿部サダヲ)と今川氏真尾上松也)の間に和睦が成立し、遠江一帯の混乱がいったん落ち着きを見せるなか、直虎柴咲コウ)は井伊家の再興に向けて動き出すべきか悩んでいた。家を再興することが家臣たちを再び戦に駆り出し、新たな悲劇を生んでしまうと考えたのだ。そんな折、松下常慶和田正人)が直虎のもとを訪れ、井伊家嫡男の虎松(寺田心)を松下家の養子として迎えたいと願い出る。井伊家の再興をあきらめきれない虎松は、これに猛反発するが・・・。直虎は南渓小林薫)の助言を受け、井伊家再興を断念。直之(矢本悠馬)や六左衛門(田中美央)らに身の振り方を考えておくよう言い渡す。直之と高瀬(髙橋ひかる)は近藤橋本じゅん)に仕えることとなり、六左衛門は虎松の守役として松下に行くことに。城主としての務めを終えた直虎は還俗し、龍雲丸柳楽優弥)とともに歩み始める。

 

第36回「井伊家最後の日」|あらすじ|NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』

 

今週の雑感

 

ドラマの中の時間経過とドラマ視聴の時間の折り合いがつかず、33回からまだ3週間しか経っていないということもあってなかなかついていくのがしんどい日々です。

 

実は先週の「但馬は生きておったのか」の直虎の台詞を聞いたときにも、あああ、わかるけど、ちょっと待って、まだそこまで気持ちがついていかないよ~!でした。

 

政次が過去になる。

 

史実を含めたドラマとしての見せ方、面白さには拍手喝采を送っていながら、政次がいない井伊谷が寂しくてしょうがなく、ふたりで囲碁を打っていた日々が戻らない現実にこれこそ所謂ロスというものなんだろうか…と、33回直後の悲しみとはまた違う感情が押し寄せてきて難儀しているところです。

 

直虎の死

私はこれまで、直親と政次の死によって直虎がまさしく真の当主になるのだ、と考えてきました。ふたりの現身として井伊を負って立つ。しかし、周りの大国に挟まれ大嵐の中をプカプカ浮く小舟のような井伊を存続させるためにはそれでは万全ではなかった…

 

政次を自分の手にかけることで彼を自分の中に取り込んで、というような単純な話ではなかったですね。34回で記憶を無くすほどの衝撃(自分が殺した事と政次を失った事)を受けた直虎は、和尚の言う通りもう飛べなくなっていたんですね。

 

傑山「私は和尚様は但馬を突き出すお考えかと、思うておりました」
南渓和尚「政次が死ねば、あれは死んでしまうからな。翼がひとつでは鳥は飛べぬ。ふたりして落ち延び、そこで再起を図ればよい」

33回

 

直虎は死んだ。政次が死んだのと同時に。

 

片翼をもがれて、井伊を再興したいのか、もう諦めるのか、それを決めることすら直虎にはできない。龍雲丸にしたいようにすればいいと言われても、いつも助言してくれた政次がいず、何が最善なのか決めきれない。皆を傷つけたり死に行くのを見たくない事と、これまで井伊の為に死んでいった者たちへの思いを天秤にかけても正解が見つからない。

 

そんな直虎に和尚はその背負い続けてきた重荷を下ろさせる。

和尚「そなたを次郎にしたのは儂じゃ。ならば次郎から下ろすのも儂じゃ。これは儂が決めたことじゃ。政次にも直親にものうなった皆には儂から謝っておく故、もう十分じゃ。そなたはようやった。」
 
直虎「(泣く)まこと、役立たずでご期待に添えず申し訳ございませんでした…(嗚咽)」

 

 役立たず…?直虎の破天荒さと型にはまらない考えがどれだけ井伊を救い、民に力を与え、直親亡き後寿桂尼にも認められてここまでやってきたか。

 

寿桂尼「あれは、家を護るということはきれいごとだけでは達せられぬと言うたのじゃ。いつも我が己を許すために己に吐いておる言葉じゃ。恐らく同じようなことを常日事思うておるのであろう。我に似たおなごは衰えた主家に義理立てなど決してせぬ。」

28回

 

寿桂尼に自分と似た、と言わしめる当主になったのに。

 

ここまで自己肯定感が低いのには何か理由があると思うんです。そして、はっと思いました。直虎が真の当主になる最終条件がこれなのか?と。

 

政次と最後の囲碁を指した時も

 

直虎「もしそなたが主の座に留まりたいと思うのならば、我はそれでかまわぬと思うておる。此度のことが終われば今川を欺かずともようなるわけであるし、いろいろとやってはきたが、やはり我がこの役目にはむいておるとは思えぬしな」

 32回

 

当主には向いてない、と言っています。

 

そして今回も、龍雲丸との話の中で自信のない様子を見せています。

 

直虎「しかしそれでは戦い続けることになるではないか。武家である以上戦は避けられぬ。それなのに家を再興し皆をまた然様な渦中に引き戻すのが真に皆の為なのか。我のような頼りない当主のもとに。」

 

政次は32回で「下りる道などもはや許されませぬ」と言って直虎がやってきたことを最大限に評価した。それを聞いて直虎は嬉しい涙を見せていた。でもそう言ってくれた政次はもういない。

 

直虎の自意識、自己評価。余りにも低い。羅針盤のようでもあった師の政次に褒められたくてやってきた直虎にとって、褒めてくれる人を亡くした時点で己れの評価の低さから、それでも踏ん張る、それでもやっていく、という気持ちが起きてこないのは必然で。だから、今回直虎は一度死んだんだと思うんです。

 

そして、次には、ようやく誰からやらされるわけでもなく、自分でそうなりたいと当主になることを決め、自分で足りないと思い込んでいる部分を他からではなく己で埋めていくのではないか。直親と政次を現身にするだけでは成り立たないのは、そこにちゃんと「直虎」の意志が必要だったんではないか。そうして初めて”3人の”井伊が完成するんじゃないか。

 

私は、この物語は、あの井戸端で3人で笑いあった情景、あそこに帰っていくように思うんです。あと残り3分の1。直親の血をひき、政次から教えを受けた虎松/直政が登場しますね。今回を見て、interludeという言葉が浮かんだんですが、直親政次の魂を持った直政登場までの幕間、間奏曲のような回だったなぁと思いました。

 

 

龍の存在

直虎は殿であることを止めた。直虎はいなくなった。だから龍雲丸は殿でなく直虎でもない「とわ」にプロポーズできた。

 

龍雲丸は今まで彼女が得られなかったものを持っているし与えてもくれるひとなんだと思います。

 

直親と政次を失って後に残され、死んだ後でさえ直虎は彼らに触ることすら許されなかった。直親には妻しのがおり、亡骸に触ろうとした瞬間、「触るでない、わたくしの夫じゃ」と言われ。井伊の裏切り者として手にかけた政次は言うまでもなく。

 

でも、龍雲丸は武家でもなく井伊となんの関係もなく、そういったしがらみに全く囚われないひと。殿でも直虎でもない「とわ」は手を伸ばせば龍を抱きしめることができるし、抱きしめられることができる。

 

思い返すと、龍雲丸は、政次が言葉で直虎に伝えなかったことをメッセンジャーのように伝えてきたんですよね… 

 

名もない子どもを虎松の代わりにした時、

 

龍「その子はその子を売ったんだ。もう長くもねぇって。その子は迷惑ばかりかけた親に銭を渡せて良かったときっとそう思った。あの人はあの子を斬ったこと恐らくこれっぽちも悔いちゃいませんよ」
直虎「頭になにがわかる!」
龍「あの人は守りたいから守ったんだ」
 
31回

 

33回、政次がもう戻る気はないことを伝えた時、

 

龍「井伊ってのはあんたなんだよ。あの人の言う井伊ってのはあんたの事なんだよ。小野っていう家に生まれたことで振り回されたかもしれねぇ。辛い目にもあったかもしれねぇ。でもそんなもんその気になりゃ放り出すことだってできた。そうしなかったのは、あの人がそれを選んだからだ。あんたを守ることを選んだのはあの人だ。だから本懐だって言うんでさ…」

 

33回

 

そして今回。「あんたをおいてったりはしません」という、直虎がきっと一番聞きたかった言葉。

 

羽をもがれ気力も自信もなくした鳥はいっとき休息をし、力を蓄える時間も安寧の場所も必要で。それが龍雲丸のそばであり、一緒に過ごす時なんだろうと思う。

 

龍がオリジナルキャラだから思うんですが、彼は直親であり政次であるのかもしれないなぁと。政次が、龍が出現した時に羨ましいような表情をした時があったと思うんですが、政次にとって龍はなりたくてもなれなかった、家や土地に囚われない自由で真っ直ぐに生きるひと。

 

直親も政次もきっと一瞬くらいは、このしがらみから逃れたい、と思ったことがあったと思うんです。それを体現しているのが龍で、現世では添い遂げられなかった2人の代わりに「とわ」に束の間の癒やしを与える、お伽噺の中の人物のよう…

 

そして、武田という敵の襲来がその休息の終わりなんだろうか。「皆をまた然様な渦中に引き戻すのが真に皆の為なのか」直虎が皆の為だと思わせることが起きるんだろうか。

 

「諦めてこそ得られるものもある」

がむしゃらに己の思うままにイノシシであった時代、未熟でものを知らなかったからこそなし得たことがあって、諦めないことが大事と自分の考えひとつでコントロールできると思っていた頃。そんな時代はもう遠く… この、直虎が虎松に言う言葉が重い… 政次の死に絡んで得た経験が直虎にこう言わしめたんだなぁと思うと、和尚が言っていた「もうおとわはおらぬのじゃのぅ、つまらぬのぅ」という台詞が思い浮かびます。政次が死んで「おとわ」と呼ぶものはいなくなり、そして龍雲丸が「とわ」と呼ぶ。

 

 

直虎がもう殿ではない… 直之の悲しみと嘆きにシンクロしつつ… 高瀬の言う、家や屋敷がなくなっても大事なものはなくなっていない、という言葉に励まされつつ… 

 

 

ただ、最初に書いたように、時間の経過についていくのが難しく、「クララが立った」のパロディにびっくりしつつ、自分の足で立つことができた近藤殿へ遺恨がもうないかのような直虎を見てモヤモヤしちゃったり、龍のプロポーズ、井戸端でやるのかぁ…そうかぁ…いきなり口吸いまでしちゃうんだね… さすが龍、ストレートで行動力抜群で…ううううううう(政次…泣) となったりもしてます。

 

そして相変わらず黒い和尚が虎松に向ける愛おしさを含んではいるけれど下心たっぷりな策士ぶりを表してるあの表情、らしくていいなぁ…と思ったり。直虎から取り上げた白い碁石がどういう行方を辿るのかも気になりますね。

 

でもとにかく。今は「とわ」がこころも身体も休めますように… 

 

 

 

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お越し下さりありがとうございました。

 

また台風が来ています。どうぞお気をつけて…

 

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