MENU

let it go

Life

ちょっと自分語りです…

 アナと雪の女王の歌詞にある let it go って、「ありのままに」と日本語になっていますが、言葉そのものの意味は、「it を goさせる」→「何かしら悩み事や過去などを、先に行かせる、手放す」なんですが、アナ雪のストーリーと歌詞を合わせてそのような訳詞を付けたのだそう。

 

今日は goさせようと思うこと。

 

 

 

私の父の、子どもへの愛情はかなり自己満足なもので、私は長女なのですが、どうも男の子を望んでいたようなのです(自分も長男)。次に生まれたのが妹で、ふたりとも女の子だったことで、私を男の子みたいに育てたかった気持ちがより強くなったようです。

 

小学校に上がったときに持たされたランドセルは濃紺で、見た目は黒。昭和のその当時、今みたいに虹のごとくさまざまな色のランドセルなんてありませんでした。見た目が黒という記号の表すもの、それは明らかでした。

 

それなのにほとんど見た目黒のランドセルを買った父。娘が男の子のように見えることで息子を得られなかった思いを満たそうとしたのか。或いはひとと違うことをすることが虚栄心をくすぐり、気持ちが良かったのか。よくわかりませんが、とにかく私は父の転勤に伴って、都合3校の小学校に行き、その先々で「おとこおとこ」と呼ばれ、ランドセルを引っ張られ、5年生頃には引っ張られたランドセルの留め金が外れてガムテープで補強していました。

 

それでも、母はそんなことで泣くなと言い、泣き言を許してはくれませんでした。そしてそんな私の姿を見ていた三才違いの妹は赤じゃないといやだと言い、簡単に受け入れられてましたね…

 

また、父は私と野球をやりたかったみたいで、3年生の頃にミットとソフトボールとバットを買ってきて、外でキャッチボールをやったりもしていました。そのうち飽きてましたけど… 父のノックを捕球しようとして唇にあたり、血が出てきて大変な思いをしたのも未だに憶えています。

 

父は、自分がいちばんのひとなんだと思います。私が楽しいとか嬉しいとかというよりも、自分が満足したいひと。

 

中学生のとき、英語の暗唱コンテストというのがあって、学校の代表になったんですが、当日、ど忘れしちゃいまして、最後のほうしどろもどろだったんです… 落ち込む私を慰めてはくれませんでしたね… 

 

成績がよく、素直でなんでも言うことを聞く私だから好き。愛情をくれる。そうでなければ眼中にない…

 

中学3年の時、高校入試を前に、父の転勤が持ち上がりました。その時に戻る予定の父の実家のある県(K県)で入試を受けるという選択肢もあったんですが、それはせず、住んでいた場所(A県)で受けました。でも。受けてもその高校に行けないことは明らかなんですよ。

 

どうも、K県というのは中学2年の時に受ける試験というものが存在していて、それを受けていない私が受験をするのは不利ということで、取り敢えずA県で受け、その後すぐに転校できる高校があるはずだと見込んでいたらしいです。受け入れてくれる高校があるかどうかも調べないで。

 

そうしたら、A県の高校に合格はしましたが、高校1年生の4月に転校という形で受け入れてくれるような高校はそうはなく、いろいろ探した結果、結局受け入れてくれた高校はあったのですがそもそも私が行きたいと思った高校ではないし、父の楽天的な考え方から起きたとしか思えなくて。最初からK県を受けていればまた違ったものを、そういう訳のわからないやり方に、今でもなぜ地団駄踏んで抗議しなかったのか。その時は何を言っても考えを変える父ではないことにいろんなことを諦めていたんだと思います。

 

長いこと父に対して抗議しなかったことで鬱屈したものが吹き出したのは数年前のことで、それでも父は自分のしたことを反省はしていないし、私がその高校に入ったことで得られた大学への入学に関しては、その高校に行ったおかげじゃないか、とも言う始末。私は自分がどう思っているかを冷静に伝えたつもりなのですが、それでも理解している様子はなく、言い方が悪いのか、或いはそもそもわかりあえない人なんだろう、と。肉親だからといっても、いや肉親だからこそわかりあえないことがあります。

 

父に対してずっと可愛がられようと愛情をもらおうと、頑張って勉強もしたしいい子でいたし、母と共に頭をぐっと押さえつけるような(そしてそれに対して異を唱えない)時間を過ごしていたことを長い間心の奥底に追いやって蓋をしてたように思います。

 

結婚して実家から離れた場所へ行き、長女が生まれ、そして次女が生まれ、次女の発達が私の思い通りにならなくて… 自分の親と同じように、彼女に対して成績が良くて、いい子でいることを私が望んでいる、とはたと気づいたのです… 恐ろしいです。自分の親のようにはならないと思っている筈なのに、同じようになってました…

 

長女には関心も高く、大学の入学式にまで出席し、鼻高々で嬉しくて。それなのに。次女にはぜんぜん関心がないのをある時目の当たりにし、私はとうとうキレました。そして何かがその時本当に切れたように思います。

 

成績が良く自分の期待通りに大学に入る孫には関心はあるけれど、そうじゃない孫に興味はない。条件づきでしか愛せないひとです。自分が好むような、満足するようなこどもであれば愛情をあげるけれども、そうでなければ与えない。

  

先日、自分たちを捨てた父親の葬儀で自分の知らない父親の姿を知るという映画を見てきました。私は捨てられたわけではないけれども、父の葬儀においてどんな気持ちが湧いてくるのか、想像ができません。死を前にして気持ちが収まる、決着するという前向きな気持ちはしないことは確かです。

 

子どもの頃に出せない感情をずっと持ち続けるとどうなるか。子どもには感情をちゃんと出させる責任がおとなにはあるような気がします。子どもに過度の期待をして抑えつけてばかりいると、その時は良くても後からどうしようもなくなった思いが宙を舞ってマイナス感情が増幅されることもある。

 

それでもこないだTwitterで、親のあれこれで自分の行きたい高校に行けなかったという話しをしたら、ある方が、こう書いてくださいました。

 

すごくカルテットじゃないですか。

 

行かなかった旅行、ならぬ行かなかった高校…

 

「行った旅行も思い出になるけど行かなかった旅行も思い出になる…」

 

行かなかった高校も…

 

私、この言葉を受け取ったとき、これまで持っていた鬱々とした気持ちが思わぬ方向から救われた気がしたんです。感謝しています。

 

自分が、親のせいだったり転校を繰り返した環境のせいでものごとにあまり執着しない諦めやすい質だと思ってきました。行きたかったのに…と執着すると自分が辛いだけだからそこから目を背け、感じないようにしてきました。そうやって自分を守ってきたようにも思うし、自分の行動の免罪符にしてきたようにも思います。

 

この文章を書いたからといって何かが劇的に変わるわけでもないし、方向を180度変換!っていうわけでもない。それでも、親からの呪縛を連鎖しないようにしたい。自分への思い込みも解き放っていきたい。思い通りにしようと思う人のことを慮る必要はない。こうやって書くことで区切りがつけられると思っています。


そんな感じです。

 

 

************

 

お越し下さりありがとうございました。

 

台風がまた来てます。お気をつけくださいね。
ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村