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身体が自由に動かせないことの不自由さを知って考えたこと

おはようございます、あじさいです。

ちょっと前に、体重体脂肪率を更新し続けているのでリングフィットアドベンチャーをやる!宣言をした途端、中止した話を書きました。

https://yutaka-sukkiri.com/2021/08/17/ringfit-stop-reason/

怪我をした箇所(肋骨あたり)があるにも関わらずリングフィットをやり続けたせいで、悪化… バカ…

 

中止してから今日で1週間。だいぶ良くなってきました。

 

この1週間やったこと。

 

安静に横になっていること。できるだけ家事をしないこと。以上。

 

横になりながら本を読んだりマンガを読んだり、いろいろ考えました。

 

これまでの自分を振り返り。

 

全部自分でやろうとしていたなぁと。

 

身体を動かすと痛い、車の乗り降りだけでも痛い。ハンドルを回すだけでも痛い。そんな状況だったので、これはもう動かさないでじっとしてるしかなかったです。

 

台所の上の棚に入れてある鍋の出し入れを娘に頼みました。

 

できるだけ買い物に行かずに済むよう家に在庫のあるものでご飯を作りました。

 

昨日の夕飯の買い出しは全部夫に頼みました。

 

掃除や細かい家事も最低限にしました。

 

そしてできるだけ横になっていました。

 

ふぅ…

 

身体が動かせないって、ほんと悲しい。

 

でも、自分にとって大事なことが見えてきたのは怪我の功名…かな。

 

身体が健康じゃないと、運動もできない。家事すら重荷。買い物に行くのも一苦労。

 

ふだん、身体が元気なのがデフォルトだからそんなこと考えもしなかった。そして亡くなった母のことを思い出しました。

 

認知症になってパーキンソン症状が出始めたとき、どれだけ辛かっただろう… 洋裁や手芸が得意で若い時から趣味にしていた人にとって耐えられないことだったろうと今更ながら心がぎゅうとなります。

 

それまで作れていた料理すらもできなくなると、途端に精神的にがくんと落ちました。

 

身体が思うように動かせて、家事をしてご飯を作って、自分の事は自分で完結することが当たり前じゃなかった晩年を思うと気持ちが暗くなります。

 

母も私と同じで、周りに頼るのが下手なひとでした。自分で何もかもやることで自意識を保っているようなひとでした。

 

身体が問題なく動かせるようになったら、そのしあわせを享受しようと思います。(あと1週間くらいかかるかな)

 

そして、自分ひとりで何でもやろうとせず、周りに家族に助けを求めようと思います。できないことはできない、と認め、完璧な自分にこそ価値があると思い込むことを手放したい。

 

老化に抗いながら、老化を受け入れながら、日々過ごしていきたいです。

 

それでは。

あじさい