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ジェーン・スー「生きるとか死ぬとか父親とか」ここまで父親に向き合えるのがすごい

こんにちは、あじさいです。

オリンピックが終わって大河ドラマが戻ってきました。今観ているのが朝ドラと大河とハコヅメしかなくて、面白いと感じるものがだんだん少なくなっていくなぁ…

自身がもうターゲットになっていない寂しい気持ちを抱えております。

 

さて、今日はちょっと前にドラマ化された「生きるとか死ぬとか父親とか」の原作を読み終えたのでちょっと書き記しておきます。

 

ドラマ、とっても良かったです。吉田羊と國村隼の父娘の空気がすっごく上手かったなぁ。ザ、プロフェッショナル。

 

内容については、文無しの父親をどうして娘がここまで経済的に世話をするのか。私が疑問なのはここ一点に尽きます。

 

父と娘の関係は、現在は良好らしい。それなのにドラマも原作も、気持ちがざらざらと不協和音をたてるんです。

 

描写に時折入る母じゃない(母は他界)「誰か」の存在のせいでもあるし、私にはわがままにしか見えない父親をどうしてそこまで甘やかし、金銭の援助をし、主人公(ジェーンスー)が笑っていられるのかがわからなくて。

 

はっきり言ってこの父娘の関係、好きじゃない。

 

この作品を読んでいると、自分と父親の関係の事を考えずにはいられなくなります。私は父が好きじゃないし、離れて暮らしていてちょうどいい感じです。

 

コロナのせいで更に実家に行かなくなってます。幸いな事に元気でひとり暮らしをしていてくれるのが何よりで、経済的にも心配はなし。

 

このブログにもさんざん書いてきたけれど、父への思いはかなり複雑です。今、一緒にいても共通の話のネタはないし、母が居てくれたからこその家族だったんだなぁ…と。

 

ジェーンスー氏が父親との確執(と書くと一言だけど、ほんといろいろあった)を越えて、現在の関係に至ったのは本当に尊敬する。

 

あれほどまでに父親とちゃんと向き合って、面倒をみて、一緒に母のお墓参りをしご飯を食べ、愛情(複雑だろうが)を表していることへの羨ましさが湧いてこないと言うと嘘になるくらい、真摯で真っ正直で、私には眩しい。

 

眩しいからこそ好きじゃないのかもしれない。自分ができない事だから。

 

誰かとちゃんと向き合うって、痛みを伴うじゃないですか。

 

ジェーンスー氏がすごいところは、こうやって過去の両親との軋轢をさらけ出して、彼女自身が傷だらけになってきたことを書き、その痛みを乗り越えて今がある、という彼女への信頼性を生み出してる事だと思う。

 

彼女がラジオやPodcastで話しているのを聞くと、その考え方や姿勢がフラットで、自身が哀しみなんてまるでなかったかのように屈託なく笑い、面白話をしている、その裏にある感情に思いを馳せ、信頼できるんだと思う。

 

私たちは信頼できる人を探している。

 

信頼できる本をドラマを、日々探している。

 

そういう意味で、私はジェーンスー氏が文章を書き、喋り、Twitterで呟き、活躍していることがとても嬉しいし、同時代に生きる女性として、とても好きです。これからもどんどん活躍してほしい!

 

それでは。
あじさい