世間や他人の視線が気にならない人になりたい
親との関係や子供との関係をここに吐き出す形で書いていますが、最近図書館で本を読んでいて気づいたこと。
父親が、私の娘が成績が良くなかったり偏差値の高い学校に入れなかったりで娘に興味を持たない事がとてもとても苦しかったんだなと。それを相手に抗議できなくてどんどん自分を追い込んでいたんだなと。
自分の子供がどういう人生を送るかが、その親(私)の評価になる。もっと言うと、親が子供の人生を生きているかのような錯覚を起こしてしまう。
それって誰にでも程度の差こそあれ、あるんじゃないかと思うんですよね。
父親は、自分が入りたかった学校に私が入れたことを自分の事のように喜んでいました。そう、自分が入ったかのように思ったんでしょう。
私の知人は、兄弟姉妹が中学受験をしてブランド校に入ったのにも関わらず自分は受験に失敗し、それがどこか意識下にあったのか、子供2人とも中学受験させました。(無事合格)
子供の成績や学校や部活での活躍は、そのまま「親の活躍」と同義になる。周りにすごいねと言われたい、自分の子供がすごいと思われることはそのまま自分がすごいんだと思える。
子供は別人格なのに、子供が1位になれば親は自分の事のように喜ぶし、落第したら自分の事のように落ち込む。
自分の親に対しても、友人や周りの世間に対しても、子供の成績が良ければ自分が良い評価を受けることができる。その評価が欲しい。子供の為と言いながら、実のところは、自分が「よくできました」と言われたい。
子供に愛情はあるにはあるけれど、どこまでも「自分」が可愛いだけ。「私」がいちばん。
長女が高校生の時に、PTAの役員になったことがあります。長女の高校は成績が良い子が集まる学校で、仲良くなった母親たちで集まると、子供の成績や目指す大学の話ばかり。
そのうち、兄弟姉妹の話になってきます。どこの高校を目指しているか、などなど、愚痴も交じりながらもみな優秀な子供たちばかり。そのうち私は苦しくなってきました。次女の通っている高校の名前を言いたくなかった…
会うといつも子供の話ばかりなのが飽き飽きしてきたのと、次女の話をするのが嫌なのもあって、長女の卒業と同時にLINEから退会し、私はそのグループの付き合いを止めました。
私が次女の話しをするのがとても嫌なこと、それを次女が感じないわけはなく、本当に後悔しても遅いんだけれど、なぜ成績が良くなかった彼女を認めてあげることができないのか、自分自身の冷淡さに背筋が冷たくなります。
Twitterを眺めていて、こんなツイートを見つけました。ここに出てくるお母さんのようになりたかった… 自分の親や友人や周りの思惑や視線なんかで次女を評価していた自分を殴ってやりたい。
母は生前、仕事や勉強がうまくいかず苛立つ私に「やればすぐできると思うのは対象物をなめてる証。自信過剰すぎ」と諭してきたことがあった。遺品から出てきた日記の「お手軽に手に入れたものに心は宿らない」見た途端涙溢れ反省した。母は物事に対し丁寧に向き合う人だった。私も母のように、生きる。
— Aki (@mikorino) February 21, 2021
「やればできる」と子供を叱咤する親にはなれても、上の母親のように、
「やればすぐできると思うのは対象物をなめてる証。自信過剰すぎ」
とはなかなか言えない。私は自分を変えたい。親の呪縛から逃れたい。他人から評価されたいと思うのを止めたい。
私の顔色を伺う子供にしてしまった私を許してほしい。次女と口喧嘩をしたい。自分の心の中をクリアにしたい。
抑圧してきた気持ちの蓋を開けたい。
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あじさい