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親の呪縛から逃れられてないことに気づいてしまった

昨日の「哀愁しんでれら」を観て、自分と親、自分と子どもの関係についてあれこれ考えています。

 

子は親を映す鏡

 

小春(土屋太鳳)も大悟(田中圭)も自分の母親との関係の破綻から、そうはならないようヒカリ(COCO)に接するのを見てて思うけれど、自分と親との関係ってどうしても自分と子どもとの関係に影響を与えるのを止められず。

 

私が親のようにはなるまい、と思いながら結局同じようなことをしているのに気づく。毒親とまでいかなくても、親から受けた呪いや呪縛をそのまま子どもにも課していることに気づく。

 

反面教師としたいのに。

 

私は次女との関係の構築に失敗した事に気づきました。

 

 

無関心という暴力

 

完璧主義に育ってしまった私が同じように完璧を求めて、それに応えられた長女との関係はまぁまぁだと思うけれど(もちろん長女がどう考えているか本心はわからない)それに応えられなかった次女は、元々持っている特性もあいまって心を私に見せてくれなくなっていました。

 

私の父は、私の妹に対して成績や進学などに無関心だったらしいんですが(大人になってから教えてくれた)子どもでも孫でも成績が良かったり、偏差値の良い大学に入れたりじゃないと、関心がなくなってしまう人なんですよ。私の次女に対しての無関心ぶりについてはここでもいろいろ書いてきました。

 

そういう父親の態度が嫌でしょうがなかったのに、自分が同じように次女に対して無関心だったんだ、と気づく出来事がありました。自らの長年の態度を思い知らされて愕然としました。

 

無関心って、子どもにとっては暴力と同じくらいひどいことなのかもしれない… 子どもが小さい時にネグレクトをするのは虐待とはっきりしているけど、興味をもたない・関心を示さないというのも子どもに与えるダメージは大きいはず。

 

もう一度次女を育て直したいと切に願っても、時間は戻ってこないのでどうしようもありません。

 

出来ることは、この先、再度彼女との関係を再構築していくことしかない。

 

15年前に親の呪縛に気づいてから、どうにかしてこようと思ってきたのに結局逃れられてない自分を見るにつけ、情けないと思うと同時にくよくよしてても何も始まらないので、果たしてこれから何ができるんだろうか考えよう。

 

まずは彼女の関心のあるものをちゃんと見て、ちゃんと話をすることから。ごはん中にスマホを見続ける母親じゃダメだ。

 

次女が心を開けてくれるよう働きかけ続けよう。

 

音楽にありがとう

今朝たまたま音楽をランダムで流していたら、宇多田ヒカルの「Play A Love Song」が流れてきて、この歌詞に少しだけ救われた気がしました。

 

友達の心配や 生い立ちのトラウマは まだ続く僕たちの歴史の ほんの注釈   僕の親がいつからああなのか 知らないけど (大丈夫、大丈夫) 君と僕はこれからも成長するよ (大丈夫、大丈夫)

 

「まだ続く僕たちの歴史のほんの注釈」

 

この歌詞すごいです… いつもいつも歌には救われてきたけれど、宇多田ヒカルの歌詞や曲には折に触れて勇気をもらっています。

 

外国生活を始めたときに、不安で自信がなくて心が折れそうになった時も、「どこでも受け入れられようとしなくていいよ」という「DEEP RIVER」の歌詞に慰められていたことを思い出しました。いつもありがとう。

 

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お越し頂きありがとうございました。

あじさい