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子どもが学校に行きたくないと言ったときに私がしたこと

Twitterで見かけたツイートを読んで、自分が過去にしたことが蘇ってきました。

 

下の娘が小学四年生のとき、いろんな要素があったんだと思いますが、いじめがあって学校に行きたくない時期がありました。

 

 

このツイートを読んで、おおおおおおおお!!!!!!

 

ほんとその時にこの方のお母さんが学校に無理やり行かせずにした行動でこの方が救われて良かった… とじんとしてしまいました。

 

娘にも、無理強いしなかった。担任の教師が????な方で、(小学4年の一年間に担任が次々変わっていった)たいがいだったし、言葉の能力とか吃音とか外国生活で日本の学校に馴染めなかったとか、いろいろあって、無理して行く必要ないよ…って言ってました。

 

話は逸れるけれど、同じ時期に外国生活をした娘と同年くらいの子ども達の中でも、上の娘は学校にすぐ馴染んだし、他にも問題なくそのまま溶け込めた子もいれば、やっぱり日本の学校が嫌で、中学に入る時に帰国子女向けの学校にかわったりした子もいました。

 

本の学校のはなしで一番驚いたのが、(後から下の娘が教えてくれた)給食の早食べ競争です。遅いと、黒板に名前を書かれるとか、班ごとの競争なので、早く食べ終わった子が遅い子に文句を言ったり罵倒するとか。

 

下の娘は何をやるのも時間がかかるので給食食べるのがとても苦痛だったそう… そんなことをやらせる教師がごまんといますからね、この国。給食残したら罰とか。軍隊か。って笑えない状況があり得るんですよ、ある意味ガチャですから、学校ガチャ、教師ガチャ。

 

で、学校休んでる間、自転車に乗ってその当時入院していた義母の見舞いに行ったり、家で彼女なりの勉強したりどれくらい休んだかあまり覚えてないのだけれど、2週間くらいかな。

 

何をやってその状況を打破したかというと、

 

私が学校に乗り込みました。

 

教師への不信もあったし、クラスの同級生への睨みもきかせたかったし、とにかく自分の気持ちが収まらないっていう子供じみた感情も否定はできませんが、クラスの授業に入っていって参観しました。

 

大きな声で自己紹介した記憶があります。

 

この子のお母さんちょっと怖いっていう感じになったかもしれません。

 

その後、小学5年で担任の教師がかわり、その先生は割と信頼できるような人だったので任せていました。娘もその先生のことは好きになったし、学校に行きたくないと言うことはなくなりましたね。

 

親として、学校っていうのは絶対行かなきゃだめだし、世間体もあるし、どうしても行かなくてもいいっていう気持ちになれないのよくわかります。

 

子どもには「ふつう」で居てほしいっていう気持ち。この国って特に「ふつう」じゃないことが叩かれる傾向が強いように見えてしまいます。同調圧力とかそういう感じの。

 

でも、子どものSOSにどうやって対応するかって、このツイ主さんが書かれてるように、とても大きな転換点になり得るんだよなぁとこの話を思い出した次第です。

 

私がやったことが正解じゃないし、学校に行かなくていいよいいよって言ってるうちにそのまま社会に出られないひとだっているだろうし。

 

私の4つ上の従兄弟は、優秀でトップの進学校に入学して輝いていたのに、大学受験で失敗、親から叱責されそのまま引きこもりになって今に至っています。何年か前の話だけれど未だに受験勉強しているとか…

 

どこにも正解はないけれど、親ができることは子どもの気持ちをわかろうと理解しようとする態度を見せたり、どこが辛いのか、何が問題なのかを見抜こうとする姿勢なのかなぁと。子どもの心は子どもにしかわからないけれど、それでも知ろうとする気持ちが。

 

世間だったり社会だったりご近所だったりへの姿勢がそれに打ち勝っちゃったりすると、子どもは敏感でそういうのを嗅ぎ取る能力がとても高いと思うので、親や大人に失望してしまうこともあるだろうな…

 

昨日、22歳になった下の娘の話でした。そろそろ独り立ちの日が近づいています。

 

https://yutaka-sukkiri.com/2019/03/25/kodomo-kyukyusha/

娘が2歳のときに救急車を呼んだ話。

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お越し頂きありがとうございました。

あじさい