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お葬式に出席して考えたことなど

ちょっとご無沙汰していました。身内に不幸があって忙しない週末でした。

夫の祖母が天寿を全うしました。ここ数年、老人保健施設にお世話になっていて、最近になって食べれなくなり、老衰というかたちで亡くなりました。

 

金曜日に亡くなったのですが、13日の日曜日が友引でお葬式を出せないという理由で13日がお通夜、14日がお葬式でした。

 

子ども、孫、ひ孫が多く、家族葬にしてはお通夜の参加人数がとても多くて、小さいお子さんたちも含め賑やかな雰囲気。

 

長寿のせいか、悲しい空気はそれほどなく、ようやく、というか、やっとというか、その祖母のこどもたちが70代、80代なわけで、やれやれという感じもありました。

 

私の義父(80)はいつも「母親が逝かないと自分も逝けない」と言っていましたし、祖母が会う度に死にたいと言っていたらしく、人間そんなに長生きするもんじゃないとも独り言ちていました。

 

私は、2人の娘たちの七五三の時に着物を着せてもらったりしたことを思い出し、お疲れさまでした、と心の中で感謝をして手を合わせました。

 

こういう時にしか会わないですよね、親戚の方々って。面倒だなと思いながら、皆さんお元気な姿を拝見して言葉も交わして、お葬式ならではのひと時を過ごしました。

 

お通夜葬儀での待ち時間。それから読経も長い。お葬式の読経後、火葬場でするはずの読経を葬式直後に行い、火葬場から戻ってきてからは初七日法要をすぐ行うからまた読経。

 

10分から15分過ぎてくると、だいたい皆さん集中も途切れてくるのか疲れてくるのか、身体を動かし始めたりするのを見るのが興味深かったです。

 

昔ありましたよね、「お葬式」っていう映画… 悲劇は喜劇っていう言葉を思い出しました。

 

今は家で葬儀を行うことはないから、足が痺れて大変ってことはないけれど、昔はね… 私が中学生の時に亡くなった祖母の葬儀のことなども思い出しました。悲しいんだけれど、お葬式って笑いに繋がる部分ってあるなぁと。

 

火葬場ではもうただただ待つしかなくて、面白い話をしてくれる叔父さんがずっと笑わせてくれていて、ありがたかったです…

 

ひとつだけ、不満というかうううむ?と思ったことを。

 

葬儀場の過剰な演出です。

 

お通夜が終わる際に長々とお涙頂戴的な言葉を重ねるのもtoo muchだったし、形式にこだわっているのか、ひとつひとつの流れのアナウンスもうるさく感じたし、参列者のお焼香が全部終わった後に、わざわざ喪主を前に立たせてお礼を言わせる、なども????な演出でした。

 

そういう感謝を表すのは、葬儀場の演出じゃなくて、自然に任せてほしいと思ってしまいました。

 

1月に母のお葬式のあれこれの手続きをしたので特に思うけれど、葬儀場がこんな風に過剰演出しているのを見ると、母の葬儀はここまでじゃなくて良かったと思ってしまいました。葬儀場のかゆい所に手が届くサービスはすごいなぁと感心するけれどね…

 

儀式として、お別れの区切りとして通夜葬儀は必要なものだとは思います。でも、私の葬儀は読経もなしで、みんなで飲んで食べて終わりにしてほしいなと(コロナがない世界であれば)まぁ、死んだ後の事はわからないから文句のいいようもないけれども笑

 

それから、もう友引とかそういうのはなんかどうでもいいな、と思ってしまう。1日遅れると、葬儀場に支払う金額も増えるらしいし。

 

結婚式も葬儀も、お花やその他諸々の金額すっごい高いのにその場になるとその価格を見ても感覚がマヒしてしまうというか、どさくさ紛れで要らないお金も出ていくなぁと現実的に考えてしまうのでした…

 

死ぬってお金かかるなぁ、と今更ながら。子供たちに迷惑だけはかけないようにしたいと強く思いました。それから、義母が亡くなった時に大変だったのは、彼女の残した「モノの多さ」。ほんとに自分は身の周りをすっきりしておきたいなと。

 

それでは。

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お越し頂きありがとうございました。

あじさい