「ミッドナイトスワン」の衝撃と自分勝手にこうあってほしかった感想<ネタバレあり>
封切り初日の一番早い時間に観に行ってきました。映画館はまだ半分の観客しか入れてない状況ですが、かなり人が入っていて、人気のほどが伺えました
主演、草彅剛。彼の人気だけでも人が呼べるはず。その上メインテーマがトランスジェンダーの女性とバレリーナを目指す女の子との交流、世界からみたら立ち遅れた日本の社会的な問題を浮き彫りにしてくるものなんだろうか、と予想をしながら観ました。
ネタバレありなので、お気をつけください。
さて、ここにきてTwitter上でも絶賛批判相半ばする様相を呈してきました。
https://note.com/soshi3434/n/n2730d40272c9
この方の批判はとてもわかりやすい。
そして、CDBさんのブログ記事。
https://www.cinema2d.net/entry/2020/09/28/215640
私がぼんやりと感じていたことを詳細に書かれていて、すっきりしました。
私も自分が考えていることを書き留めておこうと思います。
心奪われる人物描写
前半の完成度はきっと大多数の人が感じていて、草彅演じる凪沙と新人服部樹咲演じる一果の孤独な魂が出会ったことで起きる化学反応、奇跡のようなお話が進んでいきます。
凪沙の仲間たち、一果の置かれた状況、りんの家族、かなりかなりヘビー。見ていて何度も泣いた。あまりにあまりに苦しい…
その中で、距離を置いていた凪沙と一果が或る事件がきっかけでお互いの存在を大事なものとして考えるようになっていくのが、言葉の少ない一果が信頼を置き始める様がとてもいいのです。
そして、一果が憧れるバレエ、彼女の動きの美しさ。飲んだくれていた母を抱えて帰ってきた後にスナック菓子を食べ、自傷していた一果が、凪沙が作るハニージンジャーソテーを食べるとき、一果にようやく居場所が見つかったことが嬉しくて嬉しくて…
でも。一果の友人りんとその家族、凪沙と共に働いている仲間たちのかなり悲観的になるような描き方が気になりながら後半へ。
私は途中で、凪沙と一果が共に2人で生きていくラストを夢想した。そうあってほしい、そういう希望ある未来が観たいと思った…
出てくる人物みんながみんなあまりにも悲壮的なので、この先に希望を、少しの希望が見たかった。
手術の失敗
母になりたい、そのために手術を受けたいと思う。それは選択肢としてもちろんあるんだと思う。でも、手術がうまくいかなかったという結果について考えると、実際過去にはそういう悲惨な時期があったんだと思うのだけど、現在、そんなことがあり得るんだろうか… と映画を観ながら思ってしまった。
現在のタイでの手術の状況について下記のツイートも読んで、その思いを強くした。
https://twitter.com/chang_minori/status/1310179900926509056?s=20
もしかしたら、最初から凪沙の悲劇ありきだったのかもしれない。あの海で一果が踊るのを見ながら…というのが描きたかったことなのかもしれない。
そこへもっていくための手段としての手術… と考えると腑に落ちる。でも、その後病院にかからなかったのだろうか、とか、貧困がそこに立ちはだかるのならそこらへんの説明が少しでもあったら良かったのに、と思ってしまう。
りんの悲劇
りんにしても。家族とのどうしようもない断絶があることを描写していて、一果への思いを吐露した後、一果がコンクールで踊るのに合わせて屋上で踊る。あの美しさ。シンクロニシティ。
彼女の存在があればこその一果のバレエであり、一果の晴れやかな舞台と、りんが絶望や何もかもから解き放たれる瞬間のコントラストが現実のものとは思えないほど綺麗で息を飲んだ。
屋上で結婚パーティのようなものが行われてると分かった時、私はりんがこうすることを予感した。
かなりの衝撃を観客に与える結末。そして後日談は一切なく。
悲劇が重なって重なって最後の方には涙も枯れてしまった… せめてこのりんの結末はできれば夢おちにしてほしかった…
死を重ねることではなく、生きることで感動させて欲しかったという私のわがままかもしれないけれども。
希望はあるか
映画のラスト。
茶色のトレンチコートを着て歩く後ろ姿。凪沙がずっと着ていたあのコートがここでぐわぁっと生きてくる…
一果が凪沙から受け取ったもの、こころ、いろんなものを継承してこれから生きていく、バレエと共に。そこには微かな希望がある。疑似母親になりたかった凪沙は、ずっと一果の中に残って生きてく。
でもやはり、私は凪沙と一果が笑いながらハニージンジャーソテーを食べてるラストが見たかった。悲しいハニージンジャーではなく…
白鳥とオデット
作中の白鳥というモチーフ。
凪沙たちの踊る白鳥。一果がバレエを習い始めて凪沙の前で踊る白鳥。一緒に踊る凪沙。
「白鳥の湖」では、最後、オデットと王子が共に湖に身を投げます。
白鳥は、それだけで悲劇的な意味合いを持つとも言えます。夜になると人間に戻れるが、朝になると白鳥になってしまう呪いをかけられている。
みんなが白鳥。呪いから逃げられない。「なぜ私だけが…」と嗚咽する凪沙の苦悩が社会における存在の苦しさが報われることはないのか。
現在、社会に存在する偏見、無知、異なるものへの惧れなどを鑑みて、私は凪沙がオデットとして、呪いをかけられたままでもいい、それは呪いですらない、という思いに至ってほしかったんだと思いました。
決して世の中は性善説ではやっていけないし、楽観主義で生きていけないことはよくわかってます。それでも、映画の中で、凪沙が選んでいく選択肢が間違いじゃなかった、と、一果と共に生きていくために選んでいったことで凪沙も一果も救われて笑顔になる、そういうものが観たかったんだなと。
つくづく自分勝手な感想ですが…
草彅剛の底力
彼の俳優としての力が素晴らしかった。新人の服部樹咲の中にあるものを花開かせたのも彼の力が多分にあると思う。
この映画に出演していた役者全員の、演技とは思えないようなリアルさにはドキュメンタリーを見てるようだったという感想がそのまま当てはまると思う。
いろいろ言いたいことを書いたけれども、映画としての素晴らしさがあっての事。それほどの思いがない作品にはここまで入れ込んで書けない…
終わりに
この映画がもたらしたものを、そこで思考終了にならないために、CDBさんがブログで書いていたように、実際トランスジェンダーの俳優さんをもっとフィーチャーし、これからも多くの作品を観たいと思います。
批判が起こる作品、出演している俳優の人気で絶賛されるだけのものじゃないというのはフラットに観られていると思います。ファンダム内だけになってしまうと、良いことも批判すべきことも覆い隠してしまう恐れがある。こうやって鑑賞後に湧き上がるブームメントは制作側もこれから映画を作ろうとしている人たちにも影響を与えるはず。
映画には力がある、と、また実感できる映画に出会えてほんとに良かった。
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お越し頂きありがとうございました。
あじさい