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米の研ぎ加減もう悩まない

お米を研ぎ始めたのはいくつの時だったか。何十年もお米の研ぎ加減で悩みつつ過ごしていたけれど、もう悩むのはやめました。

米の研ぎ具合

お米は研ぎすぎると良くない、とは昔から本やテレビの情報などで言われているし、水を使いすぎるのも好きじゃないし、ある本で研ぐのは3回、とあったのをそのまま受けて研いでいました。

お水は白く濁る感じ。

高級炊飯器が買えない

値段の高い炊飯器を買えません。6万どころか3万でも使うのがもったいないと考えてしまいます。

実家で使っていた高級炊飯器を買いかえると言うときに、まだ使える、ともらってきて釜のコーティングが剥げていよいよとなっても諦めず使ってましたが、やはり寿命はあるもの。

ちょうど社会人になる前にうちに帰ってきた娘の使っていた炊飯器をそのまま譲り受け、今は使っています。高級ではない感じのもの。

そうすると、高級炊飯器の時には感じなかった、研ぎ具合の甘さが味に出てしまうんですよねぇ… (つまりあまりおいしくない)

Twitterの投稿をみて

昨日、たまたまこのツイートを見ました。

「今どき米から栄養摂る必要なんか無いですよ」

うぁ!!土井先生飛ばしてるなぁ。でも確かにそうかもしれない。誰かにこうやって言われないと、お米の栄養の呪いのようなものは解かれなかったんだなぁと思いました。

こちらの動画で確かにおっしゃられていますね。

まぁ、どのくらいまでお水をかえるんだということになりますとまぁ、、お水、完全に澄むというところまでかえたほうがお米としては美味しくなります。ね。だけども今の人たちがかえてはいけないとかいうようなことを言うとすれば、お米の栄養価がなくなるということなんでしょうね。まぁ、でも、いまは別にお米からそんなに栄養を摂らんでもいいわけでしょ、だから美味しく、ということだったら水を完全に澄む、ところまでかえてもらったほうが米の風味いうのは生きてくるんだということですよね。

研ぐ、じゃなくて洗う、か!

土井先生の本、「一汁一菜でよいという提案」はすぐ買って読みました。お味噌汁と何かひとつのおかずがあれば、そんなに頑張って料理しなくてもいいんじゃないかという提案に関して書かれています。

日本人の持つ料理に関する見えない義務のようなもの、どうしてもこうしなきゃ、とか頑張って作らなきゃ、とかそういうある意味呪いのようなものを雨散霧消させてくれる本のように思います。

特に、いろんなメディアで発言されてますが、お味噌汁に出汁は必要ないとも言われてます。

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誰かに刷り込まれたもの

思い込みも含めて、料理に関してのこうあらねば、みたいなものって日本は多めだと常日頃思っています。親からだったり、本やテレビだったり、さまざま刷り込まれたものにいつのまにかがんじがらめになっているってこと、気づくの大切です。

こうやって言葉にして、私が信頼している料理の専門家に言われると肩のちからが抜けるというか、ほんとにありがたくて、美味しく食べることを考えればいいんだよなぁって気づかされて、これからは悩まないでいこうと思います。

研いだお水は捨てずに牛乳パックに入れておいて、洗い物をするときに使おうと思います。

************* お越しいただきありがとうございました。

あじさい