友人にもったいないと言われて思ったこと
長いこと付き合っている友人アキコ(仮名)から言われました。(私の今の状態は)「もったいない」
もったいない
食材を無駄にした。もったいない。
お風呂の栓をしないままお湯をためてしまった。もったいない。
せっかく10%引きのクーポンがあったのに家に忘れてしまった。もったいない。
世の中にはいろんなもったいないが溢れています。
大学生になったのにバイトもせずにぶらぶらしてるなんてもったいない。
休みが1週間もあったのにどこにも出かけてなかった。もったいない。
女の子だから四年制大学に行くなんてもったいない。短大で十分。
損してるから?
最後の文は、違う友人ハルコ(仮名)が親から言われて短大に行き、未だに後悔しているという話。
私がアキコから言われた文脈は説明しづらいのですが、一言で言うと、こんな感じ。
教員免許持ってるのに〇〇のようなアルバイトをやろうとしてるなんてもったいない。
「もったいない」→「損してる」っていう気持ちの表れでしょうか。
女子が四年生大学に行ったって何になるというの、それだけのお金をかけるのはもったいない、損するからやめて、という気持ちが前述のハルコの親にあったのでしょうか。
私に対するアキコの言葉は、自分の持っているものを最大限活用しなくてどうする、あなたそんなことじゃ損してるんだから得するようにがんばれ!でしょうか。それは励ましなもったいない、でしょうか。
もやもや
私の持っているものを指して、それを使わない手はない、あなたはできるんだから!!ってきっと励ましてくれたんでしょう。でも、嬉しい気持ちはしませんでした。なんだかもやもやが残りました。そのもやもやがどこから来るのか?
やっぱり自分自身も、自分のことを不甲斐ないと思っていて、その友人の言葉にはっと気付かされてもやもやしてるのでしょうか。
それとも、もったいない、なんてことは本人が自分で決めることであって、他人が口をはさむことじゃないって反発してるのでしょうか。
たぶん、どっちもあるんでしょう。
そういう言葉で私が自分を覗き込む機会をくれてありがたく思ってます。思い込みが強くてなかなか俯瞰で自分を見れないなぁって思っていた時なので、降ってきたチャンスのようにも思います。
でもあまり使いたくない
他の友人フユコ(仮名)は、親から中学受験をさせられ、お嬢様女子校に入学はしたがいいが、それに馴染めず、付属の大学にそのままエスカレーターで行けるものを蹴って、受験をした人がいます。浪人もしていました。
フユコは周りの友達から、もちろん家族からも、ずっともったいない、もったいないって言われ続けたそうです。確かにちょっと話を聞いたら、そのまま普通に学校に行ってさえいれば大学に入れるわけです。わざわざ苦労せずとも、〇〇大学という名前を得られたわけです。
それでも彼女はそうしなかった。そうしなかったことで後悔があるかないか、はわからないけれど、そうせずにはいられない何かがあった。ということは明らかです。これを外野からもったいない、と言うことは容易いことだけれど、私はその言葉をぐっと飲み込みます。
かんたんに言っていい言葉とは思えないからです。
敬遠したいことば
食材を無駄にしないとか、タオルも雑巾にするまで使い切る、とかそういう事は積極的に考えていこうと思います。でも、他人に対して、もったいない、という言葉はあまり使いたくはないかなぁっていうのが私の考えです。
どんな学歴を持とうと、どんな家に生まれようと、どんな状況でも、そのひと自身が考えて下した決心や志望に外からの「もったいない」はその人に投げかけていい言葉ではないような気がします。
実際、「もったいない」と言われて短大を選んだアキコの後悔は今更どうしようもなく、「もったいない」と言われても受験を貫いたフユコは、自分で決めたことに後からの悔しさはないはずです。
大事なこと
去年、今年と子供たちの大学受験を間近に見ていたら、自分の過去がどうにも思い出されて感傷的になっています。
ひとつ。
すべてにおいて大事なことは、自分で決める、ということです。親が決めるんじゃない。周りに口出しされたとしても、自分を偽らずに思い通りの選択をすることだと思うんです。
その先にある苦悩や苦労はあるかもしれない。周りの意見をきくことが楽だと思うことがあります。でも。私の経験から言います。
必ず自分が納得する方向へ進むこと。どこかで自分を欺くと、どこかで(何十年後かでも)ブーメランのように自分自身にその欺きが返ってきます。それはね、とてもとても痛い。そしてイ、タ、イ。
どうかこれからいろんな選択をする方々が自分の納得される方へ行かれますように。後から、私のように誰かのせいにして言い訳や繰り言を続けることがありませんように。
あじさい