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高齢男性はなぜ隣国を悪しざまに言うのだろうか

おはようございます、あじさいです。

身内の恥をさらします。「高齢男性」と主語を大きくしてしまったけれども、自分の身内の話です。

1年前に書いた内容なんですが、書き直して挙げます。

 

3ヶ月ぶりに実家に帰ってきました。父は一人暮らしも慣れて元気そうにしてました。週2回くらいサークル活動にも行っていて、まったく孤独じゃないのが離れて暮らしている私にはありがたい。

 

でも、一緒に暮らすのは無理… ってまた今回も思いました。

 

以前から思っていたんだけれど、父はほんとに自分本位でしかものを考えられません。想像力がなくて、他人がどう感じているか、よくわからないみたいです。

 

ひどいモラハラとかするわけではないけれど、「自分が一番の人」なんだと、大人になって子供を産んで余計そう思うようになりました。

 

前にも書いたので重複になりますが。孫(私の娘2人)への関心もかなり差があって、上の娘が社会人になって一人暮らしをしているのだけど、仕事はどうかとか元気か、とか私に聞いてくるのに対し、下の娘に関しては、一度も言及なし。

 

元気にしてるか、とも聞かれませんでした。自分にとって関心のあることだけしか気にならない。そしてそういう言動について私がどう思ってるかも全く気付かない。これについては既に諦めたので、父への失望感がさらに増えただけですが。

 

そして、今回、台風のニュースが流れていました。かなり大型で、気象庁が既に警戒情報を出しているらしいですよね。

 

まず、自分が住んでいるところには来ないような進路予想図を見て、こちらに来ないからもう関心はない、と言い放ち、韓国や中国の方へ行ってしまえばいいんだ!と。

 

なんでそんなこと言うのか、と非難しました。なのに悪びれた様子もなく。

 

隣国への悪感情については以前から気になっていたので、なんでそんなに、行ったこともない、よく知りもしない国のことを悪しざまに言えるのか私には理解できない、と強く言いました。

 

実は同居している義父もそう。

 

口を開けば隣国を非難し、その国の指導者を罵倒します。父と同じで行ったこともなければ、知った人もいない。それなのに、とにかく憎くてしょうがないといった感じ。

 

台風が来たときにも、自分の住む場所ではなく、別の場所に行きそうなときには、こちらに来なくて良かったなぁと嬉しそう。

 

2人は年も同じだし、妻に先立たれていて、共通点多いんですよね。

 

こういうヘイトや自分さえ良ければいい、という感情はどこからくるんだろうか?と考えてます。

 

ふたりが男性だってことがどうしても関係してくるんじゃないかと思ってしまう。男のひとって、生まれてから自分が弱い立場に立つことっていうのがそれほどないと思うんですよ。

 

日本に生まれると、男っていうだけでマジョリティ。力を持つ側っていうか。

 

昭和初期生まれだと、社会も親からもそういうマッチョなもの、男らしさのようなものを求められて生きてきただろうし、精神も身体も強いのが正義。

 

学校を終えて働き始めて、結婚して子供が生まれると、自分が働いて家族を食べさせなければ、という責任を普通に感じてきた世代。

 

ある程度仕事でも「男」というだけで、女性が感じるようなものを感じずにきたんだろうと思う。もちろん、同じ土俵にいた人たちとの競争はあっただろうし、まったく苦労してない、とは言わないけれどね。

 

で、歳を重ねてきて、退職、社会から少し離れるようになる。高齢者と呼ばれる立場になる。

 

今まで、圧倒的なマジョリティの立場で生きてきたのに、いつのまにか、社会で弱い立場へほうり込まれているのに気づく。

 

75歳になった途端、「後期高齢者」という分類に入ってしまうことに狼狽する。なんでだ??と思う。

 

自分はまだまだ年なんか取ってない。若いはず。おかしい。なんでそんな呼び方をするんだ!?!?!

 

テレビでは、高齢者がブレーキの踏み違いで事故を起こしたとキャスターが非難じみた声色で話してるのを聞かなくてはいけない。

 

遠くなってきた耳には、お店で店員さんのいう事が聞き取れない。耳が遠くなったね、と娘に言われる。もう運転免許返上する年齢じゃないか、と子供たちに言われる。腰が痛む。膝が痛む。すたすた歩けない。そんなはずはない…

 

日本男性は、国内ではマジョリティだけど、海外に住むと、途端にマイノリティになることが多いのですが、それを肌で感じているひとはまた違うんだと思うのだけど…

 

女性が女性だということで感じること。

 

人にもよるだろうけれど、なんか舐められること。小5になったら学校で女子だけよばれて話をされること。毎月生理があること。体育の水泳で休むことを申請しなければいけないこと。痴漢に遭ったり事件が起きたとき、着ている洋服のせいだとか外を歩いている時間が遅すぎるからだとか、とにかく自分のせいだと責められること。

 

そんな思いも経験もしたことがない。私から見れば、我慢とか理不尽な思いなんかをそれほどしたことがないように思える男性は、高齢になった時、自分が今置かれた社会的立場への不満を初めて感じるのかもしれないと思う。

そしてその鬱憤の吐き出し口がないんだろうと思う。

何でも聞いてくれた妻はもういない。

 

そのどこにも持って行き場のない(だって加齢は誰かを責められない)怒りや悔しさなどなどを消化するには、自分も行ったことすらなく、知ってる人もいない(からこそ)隣国へ向けるしかないんだろうなぁと。

 

いつまでも強者でいたいのに、どんどん弱くなっていく状況のなか、仮想敵として、悪しざまに言っても誰も傷つけない国々を、日本と歴史的に軋轢があって、外交問題も多々ある国々を罵倒することしか鬱憤のもっていきようがないというのは、そばで見ているとかなり悲しい…

 

私ができることは何だろうって考えるけれどね、ひとが80歳まで生きてきて、その性格やらなんやらを変えるのは至難だよね…

https://yutaka-sukkiri.com/2021/02/21/things-to-have-done/

自分は、そうならないよう、彼らに倣わぬ道を選んでいこうと思います。

 

それでは。

あじさい