MENU

好きだったアーティストへの思い ~フジロック開催がもたらしたもの~

こんにちは、あじさいです。

久しぶりの太陽。すっごい暑いけどやはり嬉しい。

 

ここのところ、フジロック開催についてもやもやしていたんですが、今日このブログを読んで、唸りました。

https://momonoki0012.hatenadiary.jp/entry/2021/08/21/214044

 

好きだったバンドへの思いがそれが単に興味を失うだけに留まらず、嫌いになってしまうってこと、好きだったからこそマイナスへエネルギーがかかると歯止めが効かない、みたいなの、わかる気がします。

すこし冷静になった今から考えれば、妬みだったのかもしれない。好きな映画もみれない。みたかった映画もみれない。みたかった舞台も、展示も、カフェにも行けない。近所のスーパーでさえ怖いのに、画面の向こうでは自分の好きなことをして楽しそうにはしゃいでる人間のことが羨ましかったのかもしれない。妬ましかったのかもしれない。でももう全部嫌になった。もう好きになれない。曲も聞けない。顔を見るのも、バンド名を見るのも嫌だ。顔を見るのも嫌だ。ファンだという人のツイートも嫌だ。グッズを見るのも嫌だ。全部嫌になった。許せなくなった。出演者もスタッフも参加者も、楽しかった思い出を持って各地に帰るんだろう。そこでコロナになるかもしれない。誰かにうつすのかもしれない。そのとき何を考えるのかはわからない。他人だから。

この方がどのバンドが好きだったのに嫌いになったのか、記事を読んで頂ければと思います。

 

フジロックを境に、辞退したアーティスト、参加したアーティスト、君が代まで歌ったアーティスト、などなどいろんなメッセージや表される言葉を見聞きして、私もこれまで好きだったアーティストへの気持ちが変わってきてるようにも思います。

 

ス~っと醒めていく感じ。

 

音楽業界、コロナのせいですごいキツイと思います。ライブハウスも次々と閉鎖を決めてます。政府の決めたガイドラインを守れば、開催も可能で、現実にフジロックは開催されました。別に法律を侵しているわけじゃない。

 

行きたい人は行き、行きたくない人は行かなければよろしい、それだけ。自分の采配、自分の選択、それだけ。

 

確かにね。

 

でも、首相が広島の平和記念式典でページをとばしてメッセージを読んでしまった時に事務方のせいにしたり、どう見ても頭が良いと思えない人がこの国の首相を担っている現在、ここまで社会が回っていっているのは、現場が我慢強くて優秀だからっていうことしかないと思うんですよね。

 

医療従事者がぎりぎりのところで踏ん張って、みんなの為、社会の為、良かれと思って働いていて、首都圏では既に医療崩壊している中でもそれぞれの方々が最善を尽くしてる。

 

いや、もう自宅療養の人数を見たら、社会的にも崩壊してるのかもしれない。コロナのために病床を開けろ、さもなければ病院名を晒す、と脅している偉いひとたちがいる。コロナじゃない病気のひとたちですら医療を受けられない社会になってきてる。

 

だからね、やっぱりフジロックで密になった会場で歌ったアーティストを私は応援できないんですよ…

 

それは、このブログの方が書いてたように、自分の好きなことをして楽しそうなひとがうらやましい妬ましいだけなのかもしれない。

 

知人が陽性になり自宅療養を強いられているのを知ったからかもしれない。

 

どこにも正解がないってつらいです。

 

音楽業界のために出演した、歌った。葛藤はあったにしても。それも正解。

 

コロナの現状を鑑みて出演を止めた。心待ちにしているファンがいたけれども。それも正解。

 

Twitterを見ていると、そこに生まれた分断がどうしても見える。

 

それぞれが思ったように行動した。だから自分と同じ考えじゃないからと言って叩くのはもうやめようよ。

 

この方のように、応援できない、と思ったならばそのファンダムから去ればいいだけ。

 

フジロック事務局から、8月24日付でこのようなアナウンスが出てます。現在のところ会期中の会場において陽性者は出てません、とあります。

https://www.fujirockfestival.com/news/detail/4268

 

参加者がこの先陽性になるかどうかの後追いシステムが果たしてあるのかわからないけれど、とにかく陽性者が出来る限り出ませんように、と祈るしかないです。

 

それでは。

あじさい