「ミナリ」<ネタバレ感想>びっくりしたこと3つ
第36回サンダンス映画祭で観客賞とグランプリの2冠、第78回ゴールデングローブ賞では「外国語映画賞」、4月に発表される第93回米アカデミー賞では6部門にノミネートされている本作品。
この賞の数々を見てもそうだし、アカデミー賞でも、作品賞を含む監督賞、主演男優賞、助演女優賞、脚本賞、音楽賞などメインな部門でのノミネート。
晴れやかでゴージャスなイメージの作品だったんですが、いやはや観に行ってかなりびっくりしました。韓国から移民としてアメリカに渡っていった家族の物語、ということだけの知識で観に行きました。
ネタバレありますのでご注意を。
被差別の話…?
自分の勝手な思い込みで、アメリカで差別されて苦しむ家族の話かと思ってたんですよ。
全然違いました。
いや、全くなかったわけではないです。そこには屈託のない差別的な言葉もありました。現地の子供がデビッド(アラン・キム)に初めて会った時に「なんでそんなに顔が平たいの?」と本人に聞くところとか。
でも大人たちはおしなべて親愛的だし、農場の手伝いをしてくれるポール(ウィル・パットン)もかなり変人だけれど彼らに対しての負の感情はない。彼らが差別を受けて苦悩すると言った描写はなかったと思います。
あれ…?なんか思ってたんと違うぞ…
夫婦がギスギス
これもほんとに上の思い込みからの続きなんですが、差別を受けて家族で団結する美しい物語を想像してました。
それが。
初っ端から、父さん・ジェイコブ(スティーヴン・ユァン)がかなり自分勝手に新しい土地を選び、家族を連れてきたことがわかります。
そして小さい男の子が走ろうとするとすぐに「走るな」と言い、どうも彼には心臓の病気があることが示唆されます。そして、家として使うトレーラーハウスが嵐で吹き飛ばされる可能性があったり、病院まで車で1時間も離れていることから母さん・モニカ(ハン・イェリ)がキレます。
この父親ジェイコブの自分勝手さ、子供の病気より自分の夢への比重の多さ。前時代的な家父長制家族の模範のような感じを描いてくるのか… と驚きました。
苦労してお金を貯めて、一緒に農場づくりを頑張ろう!な話じゃないんだ… モニカ的には子どもの病気もあるしジェイコブみたいな夢なんてないし、都会に住みたいんだろうというのはよ~~~くわかる。
ジェイコブの夢のためにアーカンソーに来る選択をする際の夫婦間でのコミュニケーションのかなり酷い欠落が辛い。
自分の父親も程度の差こそあれ、ほんとに自分本位な人だから、会社の転勤という事情はあったにせよ、家族を遠い田舎に連れていくことや私の受験の絡む時期にまた転勤したりだとか、このジェイコブの感じがすごく厭。
そしてケンカを始める夫婦を見てすぐに子供たちが紙飛行機を作り「Don't fight」と書き、何個も夫婦に向かって飛ばすあの描写には泣きました。
子供って親が決めたことにノーと言えないから、ほんとしわ寄せが子供にいってしまう地獄、見た感じはアメリカに夢を求めて行って、その夢を家族で叶える話みたいなんだけど、全然家族で叶えようとしてないから。ジェイコブよ。
何時の時代かなぁと見ていたら「レーガン大統領」という名前が出てきたから、ああ、80年代ね… 私が中学生くらいだから、アンやデビッドの年よりも上だけれど、あの80年代の持つ空気感はわかる気がする。
おばあちゃんという存在
生活のために孵卵場で働く夫婦は子供の面倒をみられない。そこで韓国からモニカの母親をよぶことにする。
やってきたおばあちゃん・スンジャ(ユン・ヨジョン)が普通のおばあちゃんじゃないってところ、いや、かなりびっくりしました。
日本のおばあちゃんだと、なんでも出来てなんでもいう事聞いてくれて万能な存在で描かれることが多いような気がするけど、全然違う。
この造形が新鮮だった。俳優さん相当有名な方らしく、今回のアカデミー賞でも助演女優賞ノミニーにもなってます。
料理はしないし花札が好きだしかなり口も悪い。
親からは行ってはいけないと言われている蛇が出るかもしれない場所に子供を平気で連れていく。そこに韓国から持ってきた「ミナリ」を植える。
新しい場所にきて硬直していた家族に風穴を開ける人。特に下の子デビッドとの出会いからラストへの変化を見ていると世代の違う人が家族のなかにいることの面白さやありがたさを感じる。
しかし。
彼女が故意じゃないにしても起こしてしまう悲劇をどう捉えたらいいんだろう。
ことごとく上手くいかない農場経営のなか、デビッドの心臓病が快方に向かっていることがわかりそして作物の卸場所も決まる。そんなタイミングで、その作物が置いてある納屋が燃え上がる。
心臓ばくばくしました。両親が炎に包まれてしまった時、最悪の事態になってしまうのか…?と震えました。
しかし、よりによって、おばあちゃん起因でもたらされるラストが、「ミナリ」に繋がるとは。そして水をダウンサイジングで見つけようとするとは。
韓国ではダウンサイジングのようなもので水を見つけたりしない、と頑なに拒否していたジェイコブがそれを受け入れるという事は、アメリカのやり方に一歩歩み寄るという意味を持つのだろうか。
なんの涙かわからないのだけれど、ラスト数分ずっと泣いてました。おばあちゃんの立場で考えたら申し訳なさでいなくなってしまいたいと思うのは自然だし、そこに走ってとめにくる心臓の弱い孫の愛情を見て何かが爆発しました。
でも、スタッフロールの最後の方に「全てのおばあちゃんに捧ぐ」という文言を見て、え、そうくるの?と。
ここ、感動するところなんですよね。たぶん。
おばあちゃんが火事を起こしてしまったけれど、彼女が植えてくれた「ミナリ」が家族に新しい生き方をもたらしてくれたってことなんだろう。
私がおばあちゃんなら、このままそこに居続けるの辛すぎておかしくなりそう。
この映画の感想で、愛情あふれるとか、美しい家族の物語で感動した、とかTwitterで読んだんですけど、全然そうは思いませんでした。
かなり不穏だしかなり気持ち悪い。これをどう説明すればいいのかわからないけれど、感動したくて観に行ったら不穏で不吉な感じとか敬虔なキリスト教信者だと思われるポールの狂信的な描写とかどう解釈していいのかわからず感想もまとまらないっていう事態になりました…
映画やドラマの論評がとても面白い西森氏のこのツイートが興味深いです。
ミナリのこと考えてたんだけど、けっこう雄のヒヨコの顛末とか、長男だけに許されるイタズラや、病弱な彼が手に入れたがっていた強さの承認とかは、単に「いいエピソード」じゃなくて、ざわっとすることとしては描いてるよね。全部わざとだよね。
— 西森路代 (@mijiyooon) March 29, 2021
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あじさい