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身近な人の死を乗り越えるためには

今年1月に母が亡くなってもうすぐ1年… 2ヶ月ほど前に友人何人かとコロナ自粛が開けて久しぶりに会った時、まだ母が亡くなったときの話ができませんでした。

初めての身近な人の死のこと

毎日の日常は淡々とさらさらと過ぎていきます。

 

ごはんがおいしいこととか、掃除が面倒だなと思うこととか、子供が言う事を聞かないとか、夫とはすぐ口論になってしまうなとか。

 

東北のあちらこちらで2011年のあの日の2時46分の前まではそんな普通の日常があった。そしてそれは突然断ち切られ…

 

私が中学1年生の春。いつも通りに家族4人で時間を過ごしていたときに電話が鳴りました。

 

ひどく驚く父の声。

 

遠くに住む父の母、私の祖母の死を知らせる電話でした。元気に暮らしていた祖母はお風呂場で倒れ、そのまま亡くなりました。

 

62歳でした。

 

大好きな祖母でした。いつも笑っていました。快活で働き者で、彼女が採ってきたよもぎで作ったおだんごが大好きでした。小さい時、休みに泊まりに行くといつも朝起きてすぐに祖母のお布団に入りにいきました。

 

健康で元気だった祖母が一瞬のうちに亡くなる。大事だと思っていたひとの命がなくなる。

 

もう二度と話すことができない…

 

お葬式のことを今でも覚えています。生まれて初めて号泣しました。

 

こんな風に、当たりまえだった風景はなくなっていくのか…と感じた初めての出来事でした。

 

義母のこと

13年前、同居していた義母も突然倒れました。前の日に元気に話をしておやすみ、と言ったのが最後でした。その後4年間入院しましたが意識が戻ることはありませんでした。

 

血のつながっていない義母ですが、その時の衝撃はひどくて、1年間くらいは病院を往復するくらいしかしていなかったと思います。

 

私の誕生日だったんです。その日。そして皆の為に天ぷらを作ろうと買っていた食材の数々が冷蔵庫に。

 

残された冷凍の海老を見て、それを料理しようとした義母と笑い合うことも話すこともできないという現実が夢のようでずっと身体がゆらゆらしていました。

 

10年ほど経ってようやく断ち切られた日常を客観的に見ることができ、言葉にして友人にも話せるようになった記憶があります。

時間がかかる

いつもそこにいた人がいなくなる。それに慣れていくには時間がかかります。

 

その人の代わりなどいないと実感していくうちに悲しみが更に広がります。

 

もちろんそれでも生きている私は毎日なんやかんやと用事を済まし、ご飯を食べて寝てそういう悲しみをやり過ごしていきます。

 

その悲しみが時間と伴に癒えて、笑える毎日を過ごしていくうちに、またその日常のありがたさを忘れてしまっていることに気づきます。

 

母の死を乗り越えるにも、まだまだ時間がかかりそうです。

 

77歳というそれほど若くはない歳であっても、それでも実母が居ないという現実を生きるのはまだちょっと辛くて悲しい。

 

母が居るのが当たり前だった50数年と、居なくなってからの11か月。何歳になっても母は母なんだなぁ… まだまだ居ないことに慣れなくて、さらさらと流れる時間が過ぎていくことでしか解決できない何かがあるんだろうなぁと。去年の今頃はまだ元気でいたんだなぁと。不思議な気分でいます。

 

https://yutaka-sukkiri.com/2020/02/04/haha-koukai/

母の死にあたって書いたものです。

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お越しいただきありがとうございました。

あじさい