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大掃除という言葉に振り回されないために

こないだ買った「サンキュ」にも記事があったけれど、11月も半ばを過ぎると… そうあの季節ですよね…

テレビでも雑誌でも誰かとの会話でも、この季節に必ず出てくる言葉。

 

年末に家の中を隈なく掃除するよう強要するこの言葉がキライ。ほんとにキライ。だった。

 

思い込んでること

でも、それって自分がそうやって自分を追い込んでるっていう面もあるんだよなぁとも思ったり。

 

この言葉って、新しい年を迎える前にきれいにしなきゃっていう義務というか責務というか、そういう責任をぐいぐい押し付けてくるんですよね。

 

私が子供の頃、年末に毎年父の実家に行くと、家族総出で雨戸や網戸を外して洗い、窓を拭き、紙類を簡易焼却炉で焼いていました。鏡餅を飾り、玄関にも車にも正月飾りを付け、母と祖母はおせち料理を数日かけて作っていました。

 

古い古い昭和の時代の話です。

 

長年の慣わしと伝統みたいなものがまだまだ生き生きとしていた時代。その当時は大掃除というのは家族の中でのある意味次へ向かう儀礼というか、そこを通って新しい年に入っていく儀式のようなものだったのかなと思うんですよね。

 

晦日には蕎麦を食べ、家に一台しかないテレビで紅白を皆んなで見て除夜の鐘を聞く。

 

その前に家を清めて心もスッキリさせることは大事だったんだろうなぁ。と。

 

変化

でも今はテレビは家に数台あったりもするし、子供はテレビなんて見ないかもしれない。スマホがあればネトフリやアマプラに繋げるし、瞬時に自分の部屋が映画館になったりもする。

 

何かを皆んなですることって随分少なくなったような気がします。

 

お正月といえば、スーパーは4日くらいまで開かないからいろんなものを買いだめしてた昔に比べると、今は1日からお店は開くし、コンビニもある。料理を作りだめする必要もなくて、すぐに日常生活が始まっていく。

 

年末年始の非日常感というのは、子供のころは好きだったなぁ。大掃除も、子供の頃は楽しかった。皆でワイワイ言いながらの、イベントだった。

 

それなのに、大人になってからはほんとにキライになってしまったなぁと…

 

自分で決める

当たり前のことだけれど、何をどうするか、は自分で決めればいいことなんですよね。

 

ひとりで勝手に圧力を感じる必要はない。別に寒い時期にわざわざ大掃除する必要ないと思えば、夏にしてもいいし、普段の掃除だけでも十分だと思えばそれでもいい。

 

家族を巻き込んで一緒にやるのが一番いいのかもしれない。家事もそうだけど自分で背負うんじゃなく。

 

そして、ちょっと気持ちよく過ごすために、ここだけは掃除しておこうと決めればそれでよし。

 

周りに惑わされることなく、自分で決めていこうって思います。

 

皆さんは大掃除、どうしてますか。

 

1日だけ決めてざ〜っと終わらせたり、こうしなきゃ、っていうのから離れられると気持ちが楽になるかもしれないです。

 

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