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突然いなくなったひとについて

昨日は突然のニュースでかなり苦しくてしょうがなかった…

突然いなくなる

病気で、自死で、これまで私が知ったひとたちが多くいなくなりました。

 

祖父や祖母、義母、大学のときには友人が、テレビで観ていた有名人たちが、そして今年は実家の母。

 

当たり前にそこに居た人が突然いなくなります。

 

私が10代20代のときに自死した有名人が多くいて、そのひとたちが突然姿を消してしまった時に、かなりのダメージを受けました。

 

なにもできない

自死は、残された家族や近くにいる周りのひとに残す傷がものすごい。

 

死んでしまったひとを前にして何もできないどころか、その死を避けられるように何かできたのではないか、と自分を責めてしまいがちなんだと思う。

 

積極的なファンではないとしても、彼の出ていたドラマのファンだった私にとって、居なくなったという事実を伝えられても、それがリアルには感じられないのです。

 

でも、SNSやテレビのニュースでは彼の死が伝えられていて、もう居ないと思うしかなくて、有名人で遠い人だからこそ、その死が実感できない感じがあって、結構きついです。

 

ドラマの中で生きてる

私がはまりまくった「おんな城主直虎」の井伊直親という役をやってました。

 

笑顔が素晴らしすぎて、はまり役過ぎて、もうね、彼しかできない役でした。

 

共演していた方々が今どういう気持ちで過ごしているのか、その喪失の度合いが深ければ深いほど、気持ちを外に出すことができないのではないか、と。

 

どうか、気持ちを言葉にしたり周りの方々と言葉を交わすことでやり過ごしてほしいと願ってやみません。

 

彼は直虎のドラマの中でずっと生き続けます。

 

「さわやかサイコパス直親」と言われた彼をずっと忘れずにいます。

 

和尚のことば

ドラマ「おんな城主直虎」のなかで、直虎直親を幼いときから傍で見守り続けてきた南渓和尚というひとの言葉を思い出します。

亀/直親(三浦春馬)が謀殺されてしまったときに、和尚が直虎に言います。

 

南渓「己を責めたとて死んだ者は返らぬ。じゃが、生きておる者は死んだ者を己の中で生かす事ができる。例えば、偲ぶ事で、例えば倣う事で、時には倣わぬ事で。他にはないかのぅ」   直虎「亀にこの身を捧げる。亀の魂を宿し、亀となって生きていく」

 

愛した男、直親をその身にうつして生きて行こうと誓う直虎。

 

和尚のことばは、母を亡くした私へのメッセージのようにも思えてきます。

 

偲ぶ事で倣う事で倣わぬ事で。

 

誰かを失う喪失から私たちは逃れられなくて、さよならを言えずに去ってしまった人たちを己の中に生かしていくことでしかやり過ごす術が見つかりません。

 

ここで、Twitterで、Instagramでまたお会いしましょうね。

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おんな城主直虎のドラマを観たことがない方にとってはなんのこっちゃの記事でしたね…

あじさい