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なぜ家の仕事は過小評価されるか

Tverで「逃げるは恥だが役に立つ」が期間限定で配信されてます。リアルタイムでもかなり盛り上がって観てましたが、また1話から観ました。

主人公のみくり(新垣結衣)は家の仕事をすることで給料を貰い、平匡(星野源)はみくりに給料を払うことで自分の時間は使わずに身の回りを清潔に保持し、三食美味しいものを食べる。  

主婦とは何か。結婚の意味とは?  

家の仕事という誰もが避けて通れないのにそこに結婚という契約があればなんとなく女性が請け負うものとされている現状に疑問を呈して、みくりと平匡の新しい関係性を世に知らしめたヒット作。  

さまざまな価値観を否定しなかった脚本が広くて受け入れられた原因の一つだとも思います。結婚してもしなくても、恋愛の際には性別にこだわらず、子供を産んでも産まなくても、離婚しても、それぞれが信じる道を進んで行くことこそ素晴らしいんだ、と当たり前のようなことなんだけれど、まだまだ社会に残る差別や偏見や偏執へ切り込んだ作品で、私はとても好きなんです。  

みくりが、平匡にプロポーズされて結婚、となった時、平匡はそれまでみくりに払っていたお給料を払わずに節約できる、と言ってしまい、みくりから「それは好きの搾取です」と非難されていました。  

雇用主と従業員という関係だったみくりと平匡に愛情が芽生え、いざ結婚となったら、その愛情があれば家の仕事は無償でやって当然だ、となることにみくりが反発したんですよね。  

そうやって家の仕事は愛情があればして当然のものにどうしてなってしまうか。過小評価されてしまうのか。  

家のこまごまとした仕事は結婚や同棲するときに必ず発生するのに、そこにお給料を貰う、所得税を住民税を払う、という行為が生まれないからというのが大きいんだと思います。  

誰にもで出来そうに見えてしまうのもひとつ。(かなり難しいのに)  

私の夫の場合、仕事が朝から晩まで時間を取られ、家での時間がとても短いです。自分がフルタイムで仕事をした時もあったけれど、結局2人とも外で働いていると家のことが全くできなくなってしまって、気持ちも体力も追いつかなくなり、よりお給料を持ってこれる夫が辞めずに働いています。  

だから、彼が毎日衛生的に栄養的に安定した満足な生活を送っていられる(はず)のは、私が家でのさまざまを担っているお陰であるわけで、夫が稼ぐお給料は私が居なければ成り立たないわけですから、私は主婦として家にいて好きなものを買ったり飲んだり、もちろんやりくりをしつつかなり自由にお金を使っています。  

以前は、自分は外で働いていないのだから… と卑屈になったりもしたのですが、もっと自信を持って、夫婦とも同じ権利と義務を負っている、と思っています。  

卑屈になっていた時、相手の言葉一つ取りあげて邪推したり反発したり、かなり喧嘩もしましたが(今もしますが…)こういう気持ちになってからは、かなり平穏です。  

パートナーとの関係は千差万別ですよね。どちらも外でお仕事をしていたら、家事だって分担しないといけないし、どちらかに負担が行かないよう、そこはきちんと話し合いを大事にして、言いたいこと思っていることを押さえ込まずに言葉に出して行こう!!と言いたいです。

************* お越し頂きありがとうございました。

あじさい