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家事は労働です

今日は家事について考えたことなどを。

おしんがしている労働

最近、NHKで再放送している「おしん」に見入っています。境遇や歴史背景や男女や貧富や親子やとにかくさまざま考えさせられるドラマです。

おしんは小作である自分の家を助けるために奉公に出るのですが、奉公先での仕事はその家での「子守り」がメインで、その他にご飯作りや掃除などもします。おしんの仕事は今の言葉で言えばその家の「家事」です。

その「家事」に対しておしんの家への対価が「米」(今でいうと金銭)なわけです。

明らかに、おしんのしている「家事」は労働なんですよね。もちろんそれが裕福な家だからその家事をアウトソースできた事、という考え方もあるとは思いますが、とにかく彼女は自分の「労働」を「米」に替えていたんです。

海外で見知った事

私は2003年から4年ほどヨーロッパのある国に住んでいたことがあります。私が仲良くなった外国の人たちはアメリカアジアヨーロッパさまざまな国の人でしたが、一つとても驚いたことがありました。

それはお金を払って家事を誰かに頼むこと。日本でいうダスキンみたいな会社に頼むといったものではありません。知り合いにそういう仕事をアルバイトでしている人がいて評判が良いと聞くと頼んでみたり、個人と直接のやりとりでした。英語ではクリーンレディとかベビーシッターなどと呼んでいました。

家の掃除、アイロンがけ、子守り(ベビーシッティング)。

私が付き合っていた友達は同じように外国人としてその国に住む人で、夫の仕事に伴ってやってきているので外仕事を持っている人は誰もいません。いわゆる専業で主婦をしている人ばかりです。

ベビーシッターを頼むというのもよく聞く話でした。学校のPTAは必ず夜にあります。父親も参加するという前提で設定されているからです。両親ともに出席するのが当たり前の世界なので、子供だけを残して家に置いておくわけにはいかないのでベビーシッターを頼むしかなくなります。

例えばパーティに出席する時もそうです。夫婦同伴でのパーティに行く時にはベビーシッターが必要です。

こういう考え方に最初は戸惑ってびっくりしました。とは言っても私は慣れないし家の中に他人が入ってくるのを好まなかったので頼みませんでした。ベビーシッターも、PTAの時は夫が早く帰れれば私だけ出席し、そうじゃない時に一度だけ頼んだことがあったことを思い出します。

日本人がみんな頼んでいなかったわけではないのですが、私の考え方のほうが特異なのだなぁと思いました。家事を誰かに金銭でもって依頼するという考えに慣れていませんでした。

家事は誰でもできるものという幻想

家事や子守は明らかに労働です。

でも、日本では家事が労働だという認識がとても弱い気がします。誰でもできるもの、大した事じゃないもの、片手間にするもの。

それはきっと長い間、女性が家に居て当たり前のようにしてきて、労働であるのにも関わらずどこからもお金が発生せず家事を担っている人に賃金が渡されるということがないからなのでしょう。

外に出て働いたものは賃金として見えるお金を得ることができる。でも、家事には何も発生しない。時間をかけて家の中を綺麗にし衣服を洗い畳み、ゴミ出しをして衛生管理をし、食料を買ってきて調理し片付けて家族の空腹を満たす。労働なのに、お金が絡んでこないから労働という言葉が使われない。

家事は誰でもできるもの。大した技術や考えがなくてもできるもの。そんな考えをなんとかして壊していきたい。皆んなが家事に対しての考え方を変えていってほしいなぁと思います。

専業主婦という言葉の持つもの

私は子供を産んでから12年程度専業主婦でした。そこから4年間教師として働いた後、6年間また専業主婦でした。最近、週3で時給ベースの仕事を始めました。

専業主婦をかなり長いことやってきたので、そのことについてちょっと触れようと思います。

私は個人的に専業主婦という言葉があまり好きじゃないです。外国でできた友人が、外で働いていない主婦を英語で説明するときに使っていた英語が好きです。

I manage my house.

或いは

I am a manager of the house.

「家のマネージャー」のような感覚でしょうか。翻って、日本語の専業主婦という言葉の持つものが、「暇な人」「お気楽な人」のような雰囲気があるのがどうしても好きになれないんです。

自分で稼いでいない人、のようなイメージも嫌いです。家でのたくさんの仕事を片付ける人がいなければ、家の中は回っていかないし、家族のメンバーは生きていけないんですよ!家事に賃金がないという考え方は違っていると思います。

外で働いて賃金を得る役をしている人は、家での多様な仕事をしている人がいるからこそその賃金を得られているわけです。特に、日本は労働時間が長い傾向があるので、その専業で家の仕事をしている人がいるという前提でこの国の働き方が容認されてきてるのだと思うわけです。

仕事をしたくても見つからない、保育園が当たらない、と言った消極的専業の人もいれば、積極的に専業を選んでいる人もいれば、なんとなく今のところは、となんとなくの人もいると思います。

何れにしても、その言葉のイメージは、「家事」への過小評価からくるものでしょう。

名前のない家事

家事と言えば

    掃除
    料理
    洗濯

だけじゃないのは明らかですよね。掃除と一口で言ってもどれだけのボリュームがあるか。そして更に、「名もなき家事」が家の中に溢れています。名前はついてないけれどもやるべきことって無限…

消耗品を買ってくる、シャンプー、ティッシュ、トイレットペーパー補充、クリーニングに持っていく取りに行く、ゴミを全種類分別して保管、期日ごとに捨てる…

それがエンドレスなんです… 毎日家の中は汚れるし洗濯物は出るしお腹は空く。そこに終わりはなくて誰かが好意で家族への愛情という言葉でもって無償な愛を求め続けられるのはキツイ。

考え続けよう

2016年の「逃げ恥」での主人公のみくりの発言を思い出します。

https://www.excite.co.jp/news/article/Sirabee_20161044159/

また、恋愛面においても搾取について追及した。リストラにあった平匡がみくりにプロポーズした際も、結婚したいと思った理由が「賃金を払わずに家事をさせられる」と受け取ったみくり。 「僕と結婚したくないということですか? 僕のことが好きということではないということですか?」と津崎は困惑する。 みくりは、それに対して「それは好きの搾取です」「好きならば、愛があればなんだってできるだろうってそんなことでいいんでしょうか?」と問いかけ、「愛情の搾取に断固反対します」と否定の意志を見せた。

このドラマから3年。家事への、結婚への、私たちの意識は少しは変わっただろうか。

愛情を隠れ蓑にされて、今やってることにモヤモヤしていたり、少しでも何らかの不満があるのであれば、一緒に過ごしている人にまず表明していきませんか。

本当に微力なんですが、私がここで私の考えを表していって、まずはそれぞれ皆さんが自分を振り返る、見直す、何をどうしたら自分の満足感が増すのかしあわせだなぁって思える時間が増えるのかを大事にして考えていく。そういう契機になれば幸いです。

まだまだ家事シリーズ続きます。

*************** お越しいただきありがとうございました。

あじさい