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好悪のハードルとそれを表現するか否か問題

Twitterを見ていると、同じ作品に対して好き嫌いがあって、もちろん当然なのですが、

ドラマや映画を観た後に、Twitter上でその感想を書き込むことって、Twitterが無かった頃にそういう手段がなくて、周りの友達で一緒に観ている人がいれば良いのだけれど居ないと、感動したことも、ダメダメだなって思ったことも共有できなくていつも自分の世界だけに篭っていました。

そうして現在は。

Twitterで繋がった方たちとああだこうだ言えて、特に2年前の大河ドラマ「おんな城主直虎」をきっかけにフォローしたつながりでその後も同じドラマを観たり音楽を聞いたりの感想を書き込むことで思いがスッキリすることがあって本当にありがたい存在です。

でもね、自分にとってイマイチな内容の時、文句を言いたい時、やっぱり躊躇してしまうんです。同じ作品を好きだと思う人がいる。その人へのディスりになったりしてしまうんじゃないか?

私は作品への感想は千差万別でそれを言い合うことでお互いの理解が深まったり新しい視点をもらえたり、自分と真反対の意見の人と積極的に話をしたいなぁと思う。

でも、やっぱり文句をつらつらとTwitter上で流すのはかっこよくないなぁとも思ってしまう。

ほんとどうしていいかわからない時があって。感動して褒めたくて感想を書くのはどんどんやる。やりたい。でも…

それに、好悪のハードルの高低。

私のTwitterでフォローしている方でハードルの低い方がいて、作品の良い面を褒めるのがとっても上手なんです。私、そういう態度がとても好きです。どんな作品であって観る方向を変えたり角度を変えて光を当てたりすると違う面が見えてきて、だからやっぱり自分と違う考え方をする方たちの感想を見たり聞いたりするのがとっても楽しい。

とすれば、やっぱり攻撃的な言い方をせず、ここが気になる、ここがあまり、という感想を述べて行くのもありなのかもしれないなぁって思ったりもする。

*************** お越し頂きありがとうございます。

あじさい