MENU

思い出したひどい話

随分前の話ですが書き記しておきたくなりました。

2010年から3年、教師をしていた時の話です。

最初の一年は、非常勤講師として働きました。なので、クラス運営はなく、授業のみ。テストも作るし成績もつけるけれども、楽なポジションです。

その一年で、非常勤じゃなく、正規の採用の教師になりたくなってしまいました。

そして、試験に合格し、43歳で新任教師として赴任した学校は規模が小さく、1学年3クラス。もちろん規模によって教師の数も変わってくるので、少なければ部活動の顧問を担当しなければならない可能性が増えます。

もちろん知ってはいたけれども考えが甘かった…

採用試験に受かる前に非常勤講師をしていた中学校の教頭先生はとても穏やかでとても懐が深く、相談に乗ってくれたりもしました。その学校では私と同じように40を超えて教師になった同い年の方もいらっしゃって、部活動の顧問になってはいるけれど二番手で、メインではない限りそれほどの負担はないようでした。

それを期待してしまったんですよね。

そうしたら、行った先の教頭は女性で私が若くないからとか子供が居るからとかそういう言い訳を一切聞かない鉄の女でした。あなたが選んでここに居るんでしょ、と。

不幸なことに、私が赴任する前年に、若い女性の先生同士が一緒にあるスポーツの部活動を担当していて、初めはとても仲良くうまく行っていたらしいのですが、何かの拍子で関係がこじれたらしいんですよ。メインの先生は、もうその先生とはやりたくないと言いつのり、サブの顧問は私しかやる人がいなくなってしまった、というのです。

ここで、断れば良かったんですよね。私が相談していた前任校の教頭先生は、やめた方がいい、と仰っていました。家のこともやりながら部活動のそれもスポーツ関係はやめた方がいい、と。

でも、私はやる気に満ちていたし、目の前にあることから逃げるのが嫌だったんです。だから受けてしまいました。サブで。

でも、そのメインの先生はその年がその学校における最後の年で(最初の赴任校は6年と決まっている)私が次の年からメインになるしかないと言うんですよ。小さい学校だからしょうがないと。

やったこともないスポーツのメインの顧問になるのはとても大変で、土日は無くなるし、毎日遅くまで練習はあるし、とてもじゃないけどやっていけない、と思いました。そこで、その仲違いをしてしまった、前まで顧問をやっていた先生をメインにしてくれ、と頼んだのです。鉄の女に。

そうしたら、もしメインの顧問をやめることになったら、生徒会活動の顧問をお願いしなければ無くなる、と私に言いました。生徒会活動の顧問もこれまた大変なんです。

私は諦めちゃったんですね、そこで。顧問をやると決めてしまった。

そうしたら!鉄の女が、顧問のメインも、生徒会顧問も、両方私に担当させてきたんですよ!あそこでキレなかったのが本当に悔やまれる。地獄に落ちろ、くらいの言葉を吐けば良かった。

鉄の女の方が一枚も二枚も上だった。本当に騙された。

その一年の忙しさと疲労の酷さは言うまでもなく、クラス運営もうまくいかず、精神的にも追い込まれて結局辞めました。

鉄の女はきっと40を超えた新任女性教師なんて欲しくなかったんでしょう。大学を卒業したばかりでバリバリ動けて働ける人が欲しかったんでしょう。だから、ワザとかどうかはわからないけれども、私は捨て駒だったと思います。

他の仲良くしていた女性の先生と鉄の女と3人で食事に行ったりもしたけれど(どうしてだろう、何かが麻痺していたのかも)結局誰とも繋がりたくなくて退職後はLINEをまっさらにしました。そこでつながっていた人とのやりとりはもうありません。

もっと自分を大事にしてあげれば良かった。それだけが悔やまれます。でも、ずっと心に引っかかっていたことをこうやって退職して6年経ってようやく出すことができて良かった。

*************

お越し頂きありがとうございました。

あじさい