<ふれなばおちん>佐伯龍はなぜ死なねばならなかったのか
ドラマの結末が曖昧なまま、視聴者に委ねられたが為に苦しみました。
この記事は、2016年にNHKで放映されたドラマについてです。マンガ原作との違いや思いはこちらに書きました。
http://yutaka-sukkiri.com/2019/03/28/furenaba-hikaku/
気持ちを改めて
ラストの委ね方に文句を言ってましたが、私もちょっと前向きになろうと思います。
結末の解釈を私なりにします。佐伯龍は死んではいない、という解釈もできるかもしれませんがちょっと厳しい。だから私はやっぱり佐伯は死んでしまった、と結論づけることにします。
最終話のキーは、佐伯龍のこの台詞かと思います。
あなたのいない人生なんか 要らない
この台詞を、ラスト数十秒のところで、「佐伯が病院にいる」との電話を夏が受け、そのまま慟哭しながら膝から崩れ落ち、電話を落とす。佐伯に関する情報は、病院という言葉だけ。なぜとかどうした、とかそういう音声は全くありません。そして佐伯の上の台詞のリフレインが入ってエンド。
このラストから、Twitteを見ても、自死だろうとの解釈がかなり出ています。
たぶん、小さい頃から寂しさを抱えて生きていたであろう佐伯。母性そのもので生きている夏を愛してしまうのは、どうしようもない運命なんだろう。彼女なら自分を見てくれて愛してくれて母のように包み込んでくれる、、、、
でも。彼女には家族があって、可愛い子供がいて、自分が彼女を奪ってしまってその子供を不幸にすることは、彼にとって侵してはならないこと。
だからこそ、夏を奪いたい、全部がほしいと口に出して言ってはみるものの、やはり夏にその気がないのを即座に感じ取ると、自分からひいて嘘をつく。
夏が守りたい家族という存在。夫ですら今や家族。夏が自分を好きでいてくれている気持ちを、佐伯のいなくなったがらんとした部屋で過ごしていると知った時に確信する佐伯は、逆に夏のためにその家族の絆を壊さないよう守ろうとする。
夏の夫に、彼女を信じろ、と激しく詰め寄るところ、あれは本心だよね。ほんとに家族には敵わないという諦め、家族を大事にする夏だからこそ愛している、二律背反のつらさをあの台詞が物語っている。
あの家にいる彼女が好きだ、という佐伯の台詞。
そして、あなたのいない人生なんて要らない、という台詞。
これはもう、それぞれ違う人生をこれから送ります。ちょっと気持ちに残ってはしまうけれど、ときどき思いだすかもしれないけれど、というような綺麗でオトナなひと夏の恋でした的な、流して終わりでは済まされない、ギリギリの感情を佐伯が持っているということ。
だからこそ。夏が佐伯とのことを綺麗に終わらせられたかな、という最後の最後になって、佐伯の死という夏の心に一生残る跡を残していったんだと思う。佐伯が意図したわけじゃないかもしれないけれど、自死という選択はしなかったと信じてはいるけれど、それでも彼の放った言葉は言霊となって、「あなたのいない人生」に幕を下ろしてしまった。
だから。彼が死ぬことによって彼と彼との思い出は夏の中に永遠に生き続けるし、彼の胸に置き去られた夏のいろんな素顔は、黒い靴のようにただ時が経っていくうちに汚されるようなことはなく、止まってしまった時間の中で彼のなかで永遠になる。(主題歌、「黒い靴」)
あまりにも佐伯龍の死が不憫で可哀想で、私の気持ちも昨日から収まらないので、現実に目を向けて自分に言い聞かせる為にも、ありったけの佐伯龍の死を正当化する理由をつらつらと書いてみました。
きっとあまり共感されないかもしれないけれど、、、自分の覚え書きとして。
参考にしたTwitterの書き込みなど。
[追記]
原作マンガとの比較。
https://yutaka-sukkiri.com/2019/03/28/furenaba-hikaku/
佐伯龍は生きているかもしれないと思ってしまった。
http://yutaka-sukkiri.com/2019/03/18/saeki-ryu-sekaisen/
成田凌の最新映画「窮鼠はチーズの夢を見る」のネタバレなし感想を書きました。
https://yutaka-sukkiri.com/2020/09/15/kyuso-nashi/
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