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「大豆田とわ子と三人の元夫」7話<オダギリジョーにいろんな意味でやられた回>

前回かなり批判的に書いたし気分も落ち込んでたのですが…

7話の感想を書く前に、前回のかごめの死について、プロデューサーの佐野亜裕美氏がインタビューに答えていた記事を見つけたので、それを載せます。

佐野氏「2016年に知人が突然亡くなってしまう経験をしたこと、そしてコロナ禍で誰にも会えず1人で亡くなっていく方のニュースを見て、残された人間の背中を押せるようなドラマを作りたいという思いがありました。だから、かごめは『大豆田とわ子と三人の元夫』を作るきっかけを背負っているとも言えます。市川さんにはオファーの段階から、6話でかごめが死を迎えることを説明していました。コロナ禍の今はある意味、誰もが死に直面し得る毎日です。いつ自らに、周囲に起こるか分からない。身近な人を大切にするという当たり前のことに気づかされる日々だからこそ、かごめという登場人物が作り出されました」

https://news.mynavi.jp/article/20210524-mameo/

物語の内容を制作側が説明するというのはそれほど好きじゃないんだけれど、彼女のツイートを見たらそれはわかった上でインタビューを受けてるんだなって、とても真摯に取り組まれているのがわかるので、こういう形で「かごめ」の存在を説明するのはありかなと思いました。

それでは7話。

https://www.ktv.jp/mameo/story/7.html

誰かの不在と日常

かごめの不在を、これでもかってくらいとわ子の日常を淡々と描くことで炙りだしてましたね。このスタイルがね、ほんと坂元氏の十八番だと思うんです。

日常に、突然かごめの死がやってくる。「好きな人」が亡くなった後も生活は続く。でも何かにつけ、その人の不在が思い出される。

ここのあたりの描写、自分の経験が思い出されてしょうがなかった…

私の義母は突然家の中の転倒事故で昏睡状態に陥り、4年後に亡くなるまで一度も意識が戻ることがありませんでした。前夜まで元気で、私の誕生日に天ぷらを作るねと冷蔵庫にぎっしり食材を入れたまま、突然居なくなってしまいました。

家族みんなショックを受けて悲しんでるんだけど、そのうちお腹が空いてくるからごはん食べないといけないし、夜が来たら寝るし、誰かが居なくなっても日常は続くんですよね。

そして、忙しい日々涙を流さないうちに年月が経ってる。溜め込んでいるものに気づかないうちに本当はとても傷ついてる。

とわ子は、新しく出会った小鳥遊(オダギリジョー)から掛けられた言葉で自分が気づかないうちに涙が流れてる。

「過去とか未来とか現在とかそういうのってどっかの誰かが勝手に決めたことなんだと思います。時間って別に過ぎて行くものじゃなくて、場所っていうか別のところにあるものだと思うんです。人間は現在だけを生きているんじゃない、5歳10歳20歳30 40その時その時を人は懸命に生きてて、それは別に過ぎ去ってしまったものなんかじゃなくて。あなたが笑っている彼女を見たことがあるなら、彼女は今も笑っているし、5歳のあなたと5歳の彼女は今も手をつないでいて。今からだっていつだって気持ちを伝えることができる。人生って小説や映画じゃないもの。幸せな結末も悲しい結末もやり残したこともない。あるのはその人がどういう人だったかって言う事だけです。だから人生には2つルールがある。亡くなった人を不幸だと思ってはならない。生きている人は幸せを目指さなければならない。人は時々寂しくなるけど人生を楽しめる。楽しんで良いに決まってる」
この台詞がほんとうにほんとうに言いたかったんだろうね。

「残された人間の背中を押せるようなドラマ」として。

かごめの死については、私の中での疑問は消えてはないのだけど、近くに居た人が突然居なくなることは、コロナ禍であろうとなかろうと、上に書いたように起こることで、その後に残された人がどうやって生きていくか、折り合いをつけていくかを見せたいという気持ちはとても伝わりました。

小鳥遊(オダギリジョー)の二面性

これ面白かったですねぇ。

黒幕はきっとオダジョーなんだろうなっていうのは推測できてたけれど、ビジネスでの対決の後、また体操の場所に現れ、何事もなかったかのように話を始める彼。

これ、かなりかなり狙ってますね。

誰かと仲良くしたり、付き合ったりするとき、その人の全部を好きにならないといけないって思いがちじゃないですか。友達になると、何か自分と相容れない考えを持ってると知ると、それを批判しにくいというか。

これはこれ、それはそれ、って考えになりにくい。特に日本では。

仲良くしていたってお互いの違う考えを尊重することはできるし、私は割と仲良くても自分は考えが違う時は違う、と言いたいなって思ってますが、そこらへんの線引きってほんと難しいけれど。

この小鳥遊が持つ二面性、怖い怖いってなるし、実際そんな人が居たらもちろん唖然としちゃうんだけど、こうやってあり得ないくらいの人物を使って表したいことが或るんだよね、坂元氏。

とわ子が社長を勤める「しろくまハウジング」の社員、松林(高橋メアリージュン)が外資のファンド会社に協力的なことを知り、とわ子がそれを問い詰めつつ、でもお互いの考えは平行線で。

とわ子が松林の母親にってプレゼントした入浴剤を、松林が返した方が良いですか?って聞くんだけど、「ぽかぽかは別だよ」って、考え方が違うことが全てを凌駕しないっていうか、それはそれ、これはこれっていうのを示してるのを見て、ああ、これは小鳥遊の人物像と繋がってるのかもしれないなって思いました。

そしてオダギリジョーを配役した方にお歳暮送りたいです。

おまけ。

とわ子が小鳥遊とベンチに座っているときの仕草というか雰囲気というか、が「ロングバケーション」の時の涼子ちゃん!!!って思った瞬間があって。その時からの時間の流れを松たか子という人を通して感じた瞬間でした。

https://yutaka-sukkiri.com/2021/04/16/towako-1/

https://yutaka-sukkiri.com/2021/04/23/towako-2/

https://yutaka-sukkiri.com/2021/05/06/towako-3/

https://yutaka-sukkiri.com/2021/05/07/towako-4/

https://yutaka-sukkiri.com/2021/05/14/towako-5/

https://yutaka-sukkiri.com/2021/05/20/towako-6/

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お越し頂きありがとうございました。

あじさい