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通夜のない葬儀、自己満足したこと

3月初めに四十九日法要と納骨を済ませました。

葬儀について少し書いておきます。  

葬儀全般で良かったこと

葬儀というのは逝った人のためではなく、残された人のためにやるんだなぁと今更ながら思いました。   母からこうやってほしいという具体的な話は一切なかったので、父と妹の3人でどう行うのか決めたんですが、ひとつ良かったなぁと思うのは、通夜をしなかったこと。   家族葬という言葉がありますが、規模の小さい部屋で、こじんまりしたい。通夜は無くして葬儀のみにしよう。   母の存命中の兄弟姉妹は遠くに住んでいるのと病に臥せっているので、知らせるけれども葬儀に参列する人はいません。また、亡くなった日に救急車を呼んだ際、周りの方々が心配そうに出てこられていたので、その方達にお知らせをする、葬儀への参列は家族葬なので辞退する、と伝えました。   葬儀社との契約については、通夜をしてもしなくても、料金は同じだということでした。葬儀の前日の夕方に葬儀社へ母を運び、そこで納棺、通常ならば通夜という流れでした。   その日は葬儀会場にベッドを入れてもらって妹と2人で泊まる予定でした。そこで、私の家族、妹の家族、父の少人数で、その会場で母の遺影と棺を見ながら夕飯を食べようとなったんです。   通夜を行う場合は、参列者にお寿司などを振る舞いますよね。その代わりに、家族だけで食べて飲んで母を送ろうと。   それがとっても楽しかったんです。   私には父方の叔母がいるんですが、そのご夫婦が苦手なんですよ… 話をしてても、すぐ私たちの知らない人の話を延々とするんです。その人の子供がどこそこ大学に行った、こんな会社に入ってこんなことをしている… もうそんな知らない人のことどうでもいいし、母が亡くなってもそういう感じだった(亡くなってすぐ家まで弔問にみえた)ので、いい加減話をしたくなくて、通夜をしたらきっと来たでしょうから、ホッとしました。   通夜というのは、夜を通して亡くなった人のそばで線香を絶やさずに居て、あの世に送るまでの短い時間を過ごすものですから、形式とか慣習とかに縛られず、いわゆる「通夜」ができたと思いました。他人に邪魔されずに家族だけの夕飯を囲んで母の話をしてかなり良い時間を過ごせたこと、本当に満足しています。   次の日の葬儀に関しては、母のお友達がいらしたり、父の趣味活動の知り合いの方がいらしたりで、思ったりよりも多くの方に参列していただきました。感謝しています。   件の叔母夫婦もみえて、葬儀、火葬場、その後の精進落としの食事に参加、相変わらずの感じで辟易しました… (葬儀の日なんだからせめて母の話をしようよ…)  

納骨前にしたこと

四十九日法要は、とにかく彼らに来て欲しくなくて、電話が来たら、内輪でやるから断ってくれ、と父に何回もお願いしてました。どうも、電話はなかったようで、私と妹と妹の配偶者と父の4人だけで行うことができました。   お墓は私の祖母が亡くなった時に父が作っていたものがあり、そこに母を納めました。その前に、私は母のお骨をもらいたいと思ってました。   私の義妹たちも義母のお骨をもらっていました。こないだの中居正広さんの会見の時にジャニー喜多川氏の骨を小さいガラス瓶に入れて持っていたのも思い出されます。   妹と2人で骨壷を開け、小さいかけらを拾いあげました。小さい容れ物に入れ、家まで持ってきました。   母の死後、実家に帰る度、毎日お線香をあげ拝むんですが、自分の気持ちを落ち着けるためにやってるんだなぁと感じます。母のためというより自分のため。   お骨を分けてもらって自分で持っていたいというのも自己満足です。家族が亡くなった後にする儀式、供養、法要、位牌、お墓など全て、残されたものが、ついこないだまでそこに居た人が永遠に失われてしまってもう会えないという事実と向き合って、それを頭と身体とに沁み込ませて納得していくためにすることなんだなぁと思いました。   母の死は確実に自分の死へのカウントダウンを考えさせるものとなっています。椎名林檎の「人生は思い通り」の、

泣いても笑っても嗚呼行ったきり 私たちは何時も行ったきり

を肌で感じて、これから先のことを自分のいく末を考えてます。   「親の病気」のカテゴリで数年にわたって書いてきた母の病気父の病気、そして母の死について、終わりにしたいと思います。読んでくださって本当にありがとうございました。

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あじさい