MENU

おっさんずラブ -in the sky- が、作られる

夜中や早朝に起きることが多くていつもTwitterをチェックしてしまうんですが、2週間前に「おっさんずラブ」の続編が作られると発表されてから特に情報解禁に過敏になっており…

今朝の衝撃

今日の4時。いつもと同じように早々と起きたのでチェック。そうしたら、友人から「おっさんずラブ」公式Twitterでこのような書き込みがあったとLINEに書き込まれてました。

そうか。こうやって春田と牧のストーリーに決着をつけて次へ行くのか。春田と牧の物語を続編で語られることはないだろうとは思っていた。主人公やキャストを総入れ替えして、タイトルは同じで、お話を作っていくような気がしていた…

そしたらTwitterで情報解禁に出くわした。今朝のスポーツ新聞の紙面が載っていたのだ。

え????違った。全然違った。春田と黒澤部長というキャラキャストは続投で、そのほかの登場人物は全部入れ替え…?

最初の単発ドラマから去年の連続ドラマへの流れと全く同じだった。主人公春田と黒澤部長は固定で、その二人を中心にしたラブコメディが続いていく。単発、2018版連続ドラマ、そしてこの-in the sky-。

予想されていたものの中でかなり自分にとって最悪に近いと思った。春田と牧がしあわせに暮らしていく、その世界が好きだったから。それが名前の同じ春田創一が今度は航空業界でまた違う人と新しく恋をしていくという。

去年の連続ドラマが大ヒット。流行語大賞に選ばれたり一つのムーブメントを作り出し、今年映画化もされて今も公開中。春田と牧の人気は凄まじい。この二人の物語を求めて映画館に足繁く通っている人も少なくない。私は4回観た。20回以上観た猛者も知っている。

新しいドラマに牧はいない。最初からいない設定なんだと思う。存在しないんだと思う。違う世界線おっさんずラブ。ちょっと言葉にできないくらいの衝撃。

春田と牧至上主義のファンが多いのか、でもだからと言って許されることじゃないけれど、公式への罵詈雑言、目を覆いたくなるような言葉を使っている人もいて更に気持ちが下がる。

なんでだろうなぁ。どうしてこうなるんだろうなぁ。みんなドラマが好きで、映画は賛否あるようだけれど興行も良くて、シナリオブックやオフィシャルブックや周辺のグッズも売れて。

今日のおっさんずラブ続編関連のツイートを見ていると、もちろん楽しみにしている人もちゃんといるんだけど、悲しみと怒りのうねりが大き過ぎて息苦しい。

どうしてこうなってしまったんだろう。

テレビ局のうまみ

たぶん、一つは、テレビ朝日がこのコンテンツのもたらす影響、関連グッズや円盤、スポンサー関係で動くお金、視聴率、話題性諸々を手放したくないんだと思う。

おそ松さん」というアニメをご存知ですか。私の娘が好きでのめり込んで見ていて、当時ものすごい人気が出てCMに使われたりグッズになったりとっても盛り上がっていました。二期が終わってちょうど一年後に映画化されたんです。

娘が言うには、映画はそれほど盛り上がらなかったそうです。多分1年と言う月日が長過ぎたんじゃないかと。それくらい旬なものの賞味期限は短い、と。

今、映画が上映中にも関わらず、こうやって波状攻撃のようにドラマを放映するのはこの「旬」なおっさんずラブをできるだけ「旬」なまま置いときたいからだと思う。

映画の興行成績がいい。今、続編を放映すれば視聴率もいいだろう。スポンサーに名乗り出る会社も多いだろう。関連商品も売れまくるだろう。そして話題をかっさらってテレビ界での地位にも好影響だろう。

ドラマのことやTwitterに疎い上層部がゴリ押しに近い形で実現させたのかもしれない。制作側や脚本家が好んで作ったものではない気がする。

よく大人の事情という言葉が使われるけれど、そんなにおいがぷんぷんする。

コメディという外せない側面

たぶん(この記事はたぶんだけで出来ています笑)ラブコメディ、それも男同士の、という枠は外したくないんだと思う。(あ、今回は男女混じっての、らしいですが)連続ドラマのファンは、春田と牧がしあわせになったその物語を詳しく、彼らの一挙手一投足を見たい。

私は春田と牧が男同士でどうやって周りも含めて自分たちの思いを貫いていくか、今の社会では実現できてない同性婚などの社会問題に斬りこむようなドラマが見たかった。

でもテレビ局はそういうことをやろうとはしていない。あくまでも、「コメディ」を作りたいんだと思う。去年の連続ドラマで作り上げ成功したその路線をまた踏襲したいんだと思う。

そうなると。そこに黒澤部長は不可欠で。黒澤部長に対する思いは一言では言えないんだけれど、連続ドラマではあまり気づけなかったことがあって、それは黒澤部長の存在感のすごさ。映画でこれまでかというくらい実感した。

役者吉田鋼太郎の持ついかめしい風貌の中に見える乙女、春田への思い、そのギャップ、そのおかしみ、それがおっさんずラブの持つ原点だ。

だから黒澤部長はヒロインだからという理由よりも、彼がいないとこのドラマのコアな部分がなくなって途端に薄っぺらいものになってしまうかもしれないと思うのだ。

もちろん春田が主人公なんだけれども、吉田鋼太郎が全部その場の空気や雰囲気をコメディにしていくその技がないと確かに成功しないかもしれないと思うに至った。

春田というキャラと田中圭

春田は牧のおかげでいろんなことを知った。人生の酸いも甘いも、人を愛することの重要性も、自分の気持ちを大事にすることも。

そこには田中圭という役者が吹き込んだリアリティがある。役を生きたからこそここまでの人気を得たしキャラに田中が被り、田中がキャラに入り込んで春田創一というキャラクターの愛すべきポンコツがドラマ最終回の最後の最後で我々を春田という人物の抜け出せない穴に落としてしまった、我々は春田の虜になってしまった。それも決定的に。

私たちの知る春田は、牧がいないと春田ではない。

だから辛い。牧のいない世界での春田はどんな春田なんだろう。既に私たちがまとっている様々な春田と牧への感情や妄想やらをよっこらしょと全部下ろして、一から、いやゼロから、in the sky春田の物語を見始めるには持っている荷物が多すぎる、重過ぎる。

タイミングが違えばまた何かしら違ったのかもしれないのに。

そして田中圭の人柄についても大きなお世話とは思いながら杞憂してしまう。彼は空気を読む、嫌だともし思っていても周りの気持ちを優先するひとに見える。それはバラエティなどで自分が求められた役割だったり発言だったりを、求められたように発信できる回転の良さを見てると感じる。

たぶん、彼はおっさんずラブの世界は閉じたかったと思ってると思う。牧への思いや他のキャストへの言葉を思い浮かべると、最高のドラマがやれた、ジ・エンド。でもそうは問屋がおろさなかった。あまりにもおっさんずラブが大きくなり過ぎた。

彼がノーと言うことは不可能だったんだろうけれども、したくなかった事をやらなければならなくなったと仮定しているだけだけれども、できればそう言うことがなくなればいいなぁと思う。推しのやりたくないことは見たくないもの、ファンとしては。

これから望むこと

まず、この続編についてはもう決まってしまったことなので、あまり否定的な事を言うのはこの記事で終わりにする。

私はかなり公式至上主義なので、公式がそう言う決定をするならばそれはもうしょうがないと考える方だと思う。内容が自分に合わないと思えば、それは公式が対象とする視聴者層に私は居ないんだなと悲しくはなるけれども、抗議などしたいとは思わない。

ファンがアンチになるのはよくある事だけれど、新しいドラマに出てくる役者さんたちを貶めるようなことはあってはならない。これだけは本当に思う。

続編が作られる。キャスティングされる。そして演じる。製作側は一生懸命作るだろう。面白いものを作ることを至上命令にされてるわけだから両者のプレッシャーは半端ない筈だ。

だからそれに水を差すような砂をかけるような真似だけはしないでおこう。新しい世界を見たくないって言う思いもわかる。牧のいない世界なんてって言う嘆きもよくわかる。でも、それはそれ、これはこれ。

自分の期待するもの納得するものが作られないからといって、自分たちの言動で春田と牧の世界に泥を塗ることだけはしないでいこう。

********************

お越しいただきありがとうございました。

あじさい