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『クラッシャー女中』の毒(ネタバレあり)

水曜日、「クラッシャー女中」を観てきました。

http://mo-plays.com/crusher/

東京も名古屋も抽選に外れて悲しんでいたところ、Twitterでのお仲間が声をかけてくださって観ることができて感謝です… (エルママありがとう)

仕掛け

電気が明々と点いてる中、開演前の注意事項がアナウンスされたと思ってたらもうそのアナウンスから劇が始まっていた… 演者が小道具をセットしつつ役名じゃなくて役者名で呼び合いながら楽屋での話(みたいな)はなしをし始める。

これが仕掛けだった。メタ的な何かだろうとは思っていたけれどもしっかりかっきり仕掛けられてたんだ…

演劇の属性として、一回こっきりで一時停止も巻き戻しも繰り返しもできず、その場で放たれるエネルギーを全身に浴び続けて終わるまでノンストップでぐるぐるし続けるしかない。

仕掛けだろうと思いながらもその場のセリフと大勢の動きについてくのが精一杯だった。後からその仕掛けの種明かしを教えてもらってへたり込みました。

時系列の罠

すぐ気がつくんですが、時系列がね、ぐちゃぐちゃなんです。高い声で演じることで幼少期を表してたんだ、と気づいたんだけど、その時にはあれれ、これどの時点????って感じの時間の迷宮にようこそ。

これは観る側を翻弄させて喜んでるでしょう??

わかりやすいものが受け入れられやすくて喜ばれるって考える作り手もいると思うし、反対にこちらが頭を掻きむしってがぁぁぁぁぁぁって叫びたくなるのを裏から見ててうしし、よしよしって思ってる作り手もいる。

きっとこのお芝居は後者なんだろうなぁ。

背景や知識や前情報があった方が理解しやすかったり楽しかったりもする作品もあるけれど、これはそういうの一切なくて、コメディの顔をしているけれども私は頭ぐるんぐるん使って罠にはまらないぞ立ち向かうぞって思ってましたが全くの無駄な足掻きでしたね…

父親の不在の在

先月、シアタートラムで「熱帯樹」を観たんですが、親子や夫婦の絡み合った関係のどうしようもなさの余韻がまだまだ残っていて、このクラッシャー女中で親子について考えることになるなんてことを全く予測していなくて面食らいました。

動揺しました。

そして父親がいない。いや、居たんです。居たけれども、それは大きくてグロテスクなお面で表されてました。父親の記号。母と子の捻じれた関係のおおもとは父親だった。でも居ない。

才能に惹かれて結婚した母。その母から生まれた子。子への一方的で暴力的な思い。あまりにも理不尽で荒唐無稽な父の放火計画。

この非道い父親という記号、勝手に殺人をさせ勝手に自殺してしまったという設定がファンタジーでお伽話みたいなんだけどなんかリアルで。

視点の逆転

主役のはずの麻生久美子がなかなか前に出てこない。え。どうしてどうして。

何だろうこれ。どうしてだろう。ってずっと思っていて、彼女はなんかそこに居るのにいつも傍から茶茶を入れるだけで、彼女だけ別世界にいるみたいで、ほんとにそこに居るのかな。亡霊か何かなのかなって感じてました。

でもこの理由が分かった時、作り手が見せてきた真実(のようなもの)が覆る瞬間、ああああああああって膝から崩れましたね…

義則の誕生会で、由美子(麻生久美子)が居ないものとして扱われてから、彼女は亡霊になってしまったのかもしれないと思いました。誰も見てくれない自分。

そこから由美子が考え始めた復讐(のようなもの)、義則にとってとても気持ち悪いものなんだけど、由美子は本当に義則が好きで何の悪意もないのがこのお話での肝だなぁって、それを表すには麻生久美子という俳優さんが纏って放つオーラが必要だったように見えてキャスティングってすごい。

ずっと誰かを思ってみんなを助けているように見えた由美子の思惑が暴露された瞬間は脳からドーパミンどばどば出てきましたね。騙されて良かった嬉しいっていう感情が沸き起こってスタンディングオベーションしてました。

毒母

私が唯一泣いたシーンがあります。それは和沙(西田尚美)が自分の気持ちを発露したところ。ダメ母で子供に才能を求めてしまってそれがないならあなたは要らないくらいな考えの狂った母に見えるんだけど、子供が生まれた時に才能があるならあるって言ってよ、教えてよって叫ぶところがね、自分自身が言ってるようにも思えて怖くなって泣きました。

こんな毒母なのにその要素が自分にもある、否定できなさ加減に頭をブン殴られた気がして泣きました。

遠くからこの母親をどこか他人事で見ていた私の内面にグサグサと槍で刺されたようで…

義則/中村倫也というひと

義則(中村倫也)って1番の犠牲者。「王子」だし「おばかさん」。そしてほんとに彼の救われなさに絶望するんだけど、すごく魅力的で困る。

ほんとに困る。

中村倫也は歌が上手くて低音から響くステレオみたい。アラジン吹き替えに抜擢されたのも頷けるしプラネタリウムでの声の出演があったりもしたそう。

私はそもそも彼を知ったのが闇金ウシジマくんのテレビシリーズ3で、ほんっとに怖くて恐ろしい役だったのだけれどもすごい人だなと思ったのは外れなかった。

そしてこの義則。最初から見どころ満載なんだけれど、やっぱり最後の数十分での由美子とのやり取り、激昂、怒りのどこにも持って行けなさ、母への父への由美子への世の中へのすべてへの怒りを髪の毛を逆立てながら喚き叫び懇願し小さい絶望から大きな絶望までの表し方がすごかった。

それに、どうも後から聞いた話だと、毎日毎回、彼は違う方法でもってこのシーンを見せてるらしい…

義則と彼を演じる中村倫也という人は違う人格な筈なんだけど、だんだん輪郭がぼやけていって、その役の境目が見えなくなる… カメレオンっていう言葉は使い古されていて他にいい表現はないものかと思ったりもするんだけど、役に自分を寄せていくんじゃなくて自分に引き寄せる感じの役者さんですね。

終わりに

このお芝居を見てから、インタビューもTwitter検索もブログ記事も全く目にしないでこれを書こうと思って書きました。さてやっと読める!楽しみです。また他の方の書いたものを読むことで違った考えが浮かぶかもしれません。

とにかく思うことはもう一度観たかった… それに尽きます。2度観ることで分かっていくこと、腑に落ちることが多々あるに違いない。でもお芝居は一期一会。そういうものだと分かってもいます。

クラッシャーの放つ毒は、決してどこかの誰かの話じゃないところ。芝居自体の毒が自分の中に住まう毒を炙り出してくるから怖い。怖いけど好き、怖いから好き。

************** お越し頂きありがとうございました。

あじさい