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もう不憫な彼はいない  ~33回 おんな城主直虎~

33話… (今回は気持ち的にスクショが難しく、いちばん好きな政次の写真を…)

あらすじ

徳川と内通していた直虎柴咲コウ)と政次高橋一生)は、約束通り徳川勢の井伊谷への進軍を受け入れようとするが、その軍勢に向かって突然矢が放たれる。徳川の先導役を務めていた近藤康用橋本じゅん)の罠であった。徳川勢に弓を引いた罪を政次に押しつけ、井伊谷をわがものにしようと企んだのだ。政次の潔白を主張する直虎は牢に閉じ込められるが、そこに現れたのは他でもない徳川家康阿部サダヲ)だった。家康は騒ぎに対し、井伊谷三人衆を疑っていたが、折悪しく武田より掛川攻めを催促する書状が届いたため時間の猶予がなくなったのだ。家康は牢の前で直虎に頭を下げ、近藤に井伊谷を託して掛川攻めに出立する。政次はいったん隠し里に身を寄せるが、すべては自らが企んだことと名乗り出る。解放された直虎は龍雲丸柳楽優弥)に政次の救出を頼むが、政次は拒否。徳川に仇なす者として、ついに政次に磔の刑が執行される。

 

https://www6.nhk.or.jp/drama/pastprog/detail.html?i=3683

おんな城主直虎 wikipedia

呪いと真の勝利

小さい時から大河ドラマが好きだったし、源頼朝義経兄弟や赤穂浪士の話に心奪われていたこともありました。これまで見てきた「殿」と「家来」のイメージ。ひたすら家来が殿を敬い、全力を尽くし守る。何か良からぬことを言った場合はちゃんと窘める。殿様は家来に労をねぎらってその忠義に感謝する。

 

そんな私のイメージに全くはまらない「目付け」という役目を背負っているのが小野家でした。政次の父政直が生きていたときに、直盛以外の井伊家のひとからいつも悪しざまに言われているのを見てはザワザワしました。主従関係の歪みというかいびつさに眼を背けたくなるほどの描写が胸に刺さって痛くてしょうがなかった…

 

5回「亀之丞帰る」で、政直が政次にこう言っていました。

 

政直「お前はわしを卑しいと思うておるのじゃろう。なりふり構わぬ嘘つきの裏切り者、己はこうはならぬと儂をずっと蔑んでおるじゃろう。じゃがの、言うておく。お前は必ず儂と同じ道を辿るぞ」

 

それに対し政次は、否定します。

 

政次「和尚様のお心づかいで、私には次郎法師様や亀之丞様との間に育んだ幼い頃よりの絆がございます。井伊は縁戚となりますからには井伊のお家を第一に考えていきたいと思っております。その中でも小野はさすがに頼りになると言われることこそ真の勝利かと考えております」

 

この後政直はおめでたいやつじゃ、と笑うのですが… 政直の「同じ道を辿るぞ」というのはある意味親から子への呪いですよね。言葉というのは、言霊ということばもあるように、そこに魂が宿っていて、言葉に出すことで相手や自分をも縛る力があります。ここで親から呪いの言葉を授けられた政次は、自分は違う、と強調するのですが… 

 

この大きなフラグから28回という回数を重ね、政次は、途中周りを欺きながらも、「真の勝利」を求めて今川の「目付け」という難役を務めてきました。自分の生まれた家に染み付いた嫌われ者というレッテルにも甘んじて、いやそれを利用して皆を騙すことに成功してきたわけです。

 

一方、直虎は幼い頃から小野と井伊との複雑な関係に心を痛めてました。政次が、奥山との縁談があることを告げにきたとき、

 

直虎「それは名案なのではないか。そうなれば井伊と小野互いの血を受ける子が家督を継ぐということじゃろ。わだかまりも解けていくのではないか。」
 
5回「亀之丞帰る」

 

 「わだかまり」という言葉を使って、やはりふたつの家の関係を憂いていました。今川から鎖を付けられた犬という立場の小野家を自由なものに解放するには、今川の縛りから抜け出すこと、ただひとつ。

 

直親が生きていた時に徳川と内通しようと失敗した経験を基に、直虎と政次はしのという大事なお方様を失ってでも、徳川と結ぶことで自分たちが今川と共倒れにならぬよう、縛りから抜けられるよう活路を見出そうとしました。

 

その悲願がついに、ようやく達せられるところまできた。それが前回の32回でした。

 

政次「俄には信じられぬであろうが、井伊と小野はふたつでひとつであった。井伊を抑えるために小野があり小野を犬にするため井伊がなくてはならなかった。故に憎み合わねばならなかった。そして生き延びるほかなかったのだ。だがそれも今日で終わりだ。皆、今日までよく耐え忍んで来てくれた」

 

高らかに響く政次の勝利宣言。父親の放った呪いに打ち勝った瞬間でした。そして決して政次は孤独ではなく、小野家の家来たちも皆その心の内を知っていたという… 

 

ここで、このまま井伊と小野が普通の主従関係になっていれば… 32回で月明かりの下、ふたりが夢みた情景が頭にちらついて離れないです。

 

巡る因果

19回「罪と罰」木材泥棒を巡る近藤殿との軋轢。どうしても恩を感じる木材泥棒の龍雲丸を厳罰にできなかったこと、木材事業のためにその盗人を井伊で雇ったこと、仏像盗難騒ぎの時に和尚が近藤殿をやり込めたこと、目付けとして信じていた政次が騙していたこと。

 

近藤殿は自分の所領の木材を盗まれたことに加えて、井伊家がしたことに恨みを持つに至ったのは容易に想像できます。そして、井伊が徳川から安堵を取り付けたことを聞き「切り取り次第(敵地を獲り放題にすること)にはならぬということか!」と怒っていました。

 

実は井伊と小野が通じていたということだって、近藤からしたらバカにされた、コケにされたと思ってしまうだろうし… ここまでの近藤殿の気持ちから、井伊への恨みを晴らしてやろうと思ってもおかしくない。

 

19回で直虎が木材泥棒を厳しく罰することができなかった、その選択が井伊へ、直虎へとブーメランのように帰ってきてしまった、究極の因果応報。和尚が口癖のように言う、因果因果、をこのような形で見せられるとは…

 

政次となつ

罠にはめられて川名の隠し里に逃げて来た政次は、祐椿尼に「(殿のことは)必ずなんとか致します」と既に何かを決意した顔をしていました。(なつも気付いてましたね)その後になつに甘えるように膝枕をしてもらう場面も、いろいろ考えはあると思うのですが、私には最後になつへ自分の笑顔と笑い合う時間をプレゼントしたように思えました。鶴の恩返しのような… なつも、政次がしようとしていることを知りながら明るく振る舞い、碁石を渡し、こころは直虎の元へ飛んでいっている政次に目隠しをして、もう少しだけ自分の方を向いてほしいと、最後の時間なのだから…と思ったのかな…

 

以前、政次がなつ・しの姉妹の父を誤って斬ってしまった時、なつが事の次第を皆の前で説明したことがあり、その時に政次が「この礼は必ず」と言っていたことをTwitterで知りました。だからやはり、政次がなつに求婚したのも、この膝枕も、なつへの義兄としての愛情とお礼なんだろうなと思っています。必ず伏線を回収するこのドラマならではかと!(異論はあると思いますが…)

 

小野の本懐

近藤殿の寝所を襲う前、政次は井戸へひとりやってきました。その時、白い碁石をじっと見つめ、初めは直虎を見るかのように切なそうな表情だったのが、碁石をぎゅっと握りしめた後、顔が引き締まっていくのが、もう死を見据えていてこれから打つ一手による自分の行く末に覚悟を決めた瞬間のように見えました。

 

何も言わず、井戸端でただ白い碁石を見つめ握りしめるだけで表れる政次の気持ち。もう少しのところで手に入ったのに。井伊と小野をひとつにして、陽の光の下で直虎と囲碁を打てたのに。

 

直虎はそんな政次の覚悟を知らず、とにかく政次を逃がそうと龍雲丸を牢屋へ向かわせたのですが… 龍から渡されたのはあの白い碁石

 

政次「すまぬが俺は行かぬ。殿や俺は逃げればいいかもしれぬ。しかし恨みが晴れなければ隠し里や寺、虎松様、民百姓、何をどうされるかわからぬ。そして井伊にはそれを守りきれるだけの兵はおらぬ。俺ひとりの首で済ますのが最も血が流れぬ。」
 
龍「けど、あんたがいなくなったら、あの人は誰を頼りゃいいんだよ」
 
政次「和尚様がおるし、お主もおるではないか」
 
龍「ごめんこうむらぁ。だいたい、あんた、あんたそれでいいのかよ。おい。このままいきゃあ、あんたは井伊をのっとった挙句罪人として裁かれるってことだろ。悔しくねぇのかよ。井伊の為にってあんなに誰より駆けずり回ってたのあんたじゃねえかよ。」
 
政次「それこそが小野の本懐だからな。忌み嫌われ井伊の仇となる。恐らく私はこのために生まれてきたのだ」
 
龍「わかんねえよ、俺には」
 
政次「わからずともよい」

 

小野の家に生まれたことの意味。井伊を、直虎を守る為に選ぶ最適解。理を先んずる政次らしい。そして結局父親の呪いには勝てなかった、という諦め、穏やかな笑み。

  

政次「 戦に戦わずして勝つ。もしくは戦いに及ばずとも済むよう死力を尽くす。周りの思惑や動きにいやらしく目を配り、卑怯者臆病者よとのそしりを受けようと断固として戦いません」

 

18話で語っていた政次の生き残り方。その通りのことをやろうとしている。自分一人が犠牲になることで。

 

でも直虎はそんな政次の言葉を聞いて激高。幼い頃から政次の苦悩を誰よりも知る彼女の言葉を聞いているだけで泣けてきます…

 

直虎「政次は幼い頃から家に振り回され踏み潰され、それの、それの何が本懐じゃ!!」
 
龍「井伊ってのはあんたなんだよ。あの人の言う井伊ってのはあんたの事なんだよ。小野って家に生まれたことで振り回されたかもしれねぇ。辛い目にもあったかもしれねぇ。でもそんなもんその気になりゃ放り出すことだってできた。そうしなかったのは、あの人がそれを選んだからだ。あんたを守ることを選んだのはあの人だ。だから本懐だって言うんでさ…」
 
直虎「頼んでなどおらぬ。守ってくれなどと頼んだ覚えは一度もない!」

 

昔から、理性の政次と情の直虎の構図が全く変わってない。子供の頃から築き上げてきたふたりの関係の着地点。政次は守りたい。直虎は守られたくなどない。それでも、直虎は政次の思いを、本懐を遂げさせるためはに何ができるかを考える…

 

直虎と政次

 

直虎「和尚様、これはいったいどういうことなのでしょうね。私に次の手を打てと、言うことなのでしょうか。」
 
和尚「誰よりもあやつのことがわかるのはそなたじゃろ。答えはそなたにしかわからぬのではないか」
 
直虎「政次…!!我は我は何をすればよい…? 今更そなたに何を…?」

 

この後の直虎と政次が離れていても語り合ってるかのような描写が、政次の目に浮かぶ涙と共に、美しかった… 25話で見せたエア囲碁が脳内に蘇って更に苦しい。白い碁石を渡して「殿の番にございますよ」と次の手を促す政次にどう答えればいいのか…

 

「我もそなたを上手く使う」

 

和尚「次郎、今日政次が磔になる。我らは引導を渡しに行くが、行くか?」
 
直虎「参ります。政次が行くと言うなら、私が送ってやらねば。我が送ってやらねば」
 
この直虎の2回重ねる「送ってやらねば」がどんな意味を持つのか、最初見た時にはわかりませんでしたよね… 
 
我を上手く使え。我もそなたを上手く使う」という18話での直虎の言葉。共闘するふたりの関係を表すこれ以上ない言葉。政次と直虎はこの言葉を噛みしめる…
 
磔場に連れて来られた政次が直虎を捉える。じっと見つめ合って… 
 
磔になった政次を目を見開いて見上げる直虎。家来へ目で合図をする近藤殿。その瞬間、誰もが目を疑う行動を見ることになりました…
 
直虎「地獄へ落ちろ。小野但馬。地獄へ。ようもようもここまで我を欺いてくれたな。遠江一、日ノ本一の卑怯者と未来永劫語り伝えてやるわ!」
 
政次「笑止。未来などもとよりおなご頼りの井伊に未来などあると思うのか!生き抜けるなどと思うておるのか!家老ごときに容易く謀られるような愚かな井伊が。やれるものならやってみろ!地獄の底から、見届け…」
 
この時の衝撃はテレビの前の誰もが共有するものだったでしょう。ノベライズ本での描写とは全く違うものであったそうで、本を読んでいた方にとっても同じく… 
 
自ら槍で政次を刺す。皆の前で政次を奸臣扱いする芝居を打つことで、徳川には忠義を示す。井伊の未来を確かなものとする。そして、心臓を一突きすることで苦しませず送る…
 
「送ってやらねば」の意味はそういうことだった。政次が自分を犠牲にするならばその思いを無駄にせず、「上手く使う」事こそ政次の本懐なんだろうという結論に達したのか…
 
19話「罪と罰」で、木材泥棒を罰しない直虎に政次はふたつ問うていました。
 
政次「あの男を見逃せば井伊は盗人を打ち首にせぬという噂が立ちましょう。さすれば次から次へと賊が入ってきましょう。そのうち民が襲われさらわれるものも出るやもしれません。ゆえに、民を守るものは悪人に対して処罰をせねばなりません
 
直虎「じゃがあの男には恩があるのじゃ。」
 
政次「知らぬ者なら打ち首、知っておる者なら見逃す、とそう仰せか。」
 
政次「では俺からも言わせてもらうが、あの男が虎松を攫ったりしたらどうする。瀬戸村に押し入ればどうする。殿が今守らねばならぬものはなんだ?!」
 
その時に直虎が出せなかった答え。それがここに着地する…
 
 知った者の血を見るのが嫌で龍雲丸を厳罰にできなかった彼女が、その問いを突きつけた政次本人を、咎人として裁き自ら手にかけてその血を見る。知らない者ならば打ち首、知っておる者ならば見逃すという情にほだされ流されることなく、「政次」という自分の半身、一翼を自らの手にかける。
 
「情」で動いてきた直虎が、政次の思いを理解して、彼の「理」でもって槍を突き刺したんではないか。この瞬間、政次本人を自分の中に入れ、非情に見える応酬でもって政次への思いに最大限に応える。政次は予想以上に直虎が自分の思いを理解してくれていて、自分を最大限に「使って」くれていることが嬉しくてあの笑顔を見せたんではないか。
 
「あのおなごの恐いところよ」といつも思いもかけぬ行動に出る直虎を最期に見れて、よくぞやった、おとわ、と。自分の愛する人が自分を殺す。これほど不幸なことはないように見えて、その実、直虎の政次への「愛」の大きさを、視聴者はまざまざと見せつけられたし、政次も感じたに違いない。あれだけ不憫なやつだと思われていた政次が最後の最後で不憫どころか、この上ない幸せな気持ちで、最期に目に焼き付けた直虎を胸に旅立てた… 
 
 情と共に理で動く、直虎がほんものの城主になれた瞬間… その代償が政次を自ら手にかけることで失うという… ここまで非情なドラマを見たことがあっただろうか。

 

 「地獄へは俺が行く」幼子を手にかけた政次に、政次を手にかけた直虎が「地獄で待ってろ(我もそのうち行く)」この直虎の感情を何と呼べばいいのか。もう「愛」としか言いようがなく。それに対し「地獄の底から見届け…」と。なんなんだ!!!このラブシーン!!!!

 

初回は泣くだけだったこの場面。今見ていると、本当にラブシーンにしか見えず… (2回目が見れないという方もおいでかと思いますが…)お互いいつも正直な気持ちを隠して反対なこと言うのが常でしたよね。

 

政次「俺の手は冷たかろう」
 
直虎「うむ。血も涙もない鬼目付じゃからの。政次は昔から誰よりも冷たい」

 

 25話のこの場面。ここでも直虎の言葉はその通りじゃない。でも、これがこのふたりのいつもの会話。真の思いを出さずに築き上げた関係こその尊さを、政次の最期でも見せた。お互い呪いを吐きつつ、全く正反対のことだと理解している… そんな関係を、恋愛が入らなくても、いや入らないからこそのものを、見せつけられて言葉がありません…

 

幼馴染のふたりを、奸臣であったという小野但馬守政次を、そして自ら業を引き受けた直虎を、フィクションでありながら、こころ持って行かれてしょうがなく、毎日、33回の最後、政次が穏やかな顔で碁盤の前で直虎を待つ場面、直虎が袈裟に散った政次の血を付けて碁盤を見つめ佇む場面を思い出しては泣いています…

 

この後直虎がどうやって立ち直るか。翼がひとつとなって飛ぶことができるのか。直親と政次の現身として、城主としていかに井伊を守り虎松を育て、ひとり、大国に向かっていくのか。直虎応援団を結成して応援したいくらいです。

 

最後に。政直が政次にかけた呪いについて。同じ道を辿る。歴史的には、表向きは同じ道を辿ったのでしょう。でも。井伊のひとたちは皆、政次が奸臣でないことはわかっている。井伊を守ったのは政次だと。だから、政次は二重の意味で小野の本懐を遂げたんじゃないかと思うのです。

 

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白黒をつけむと
ひとり君を待つ
天つたふ日そ楽しからすや