政虎の関係 ~おんな城主直虎~
毎日沼のような場所にいる感覚で、書きたいことを書いています。
「おんな城主直虎」の何にハマっているかというと、人間関係の描写なんだなぁと今更ながら。主に主人公とその幼馴染の関係性の変化するところしないところ、を追っていくのがとても楽しい。
囲碁
直親の息子、虎松を立派な後継者にすること、そして彼が成長した暁には領主を譲ること、これが直虎にとって内政的な重要事項です。虎松の手習いを始めたときに、囲碁でいかに戦うのか、亥之助相手に虎松が負けないためにどうすべきか、直虎らしい助言をしていました。
その後も、度々虎松が囲碁をする場面が出てきます。そしてこないだは、とうとう直虎と政次がふたりで囲碁をしている場面が!!!
これには結構びっくりしました… 政治の話をしながらも和やかにふたりが信頼しあっている様子が、ああ、こんなところまで来たんだなぁと感慨深く。
ここまで囲碁が頻繁に出て来るって、何かしら理由があるんだろうか?囲碁の歴史のようなものを調べてみたら、へ~、と思ったわけです。
黒白の碁石は太陽と月の象徴であり、陰陽を表す。四角い碁盤は大地を表す。
太陽と月。陰と陽。
誰かと誰かのことを表わしているようで。
以前に、このふたりの関係性に名前を付けてみたという記事を書きました。
http://yutaka-sukkiri.com/2017/05/18/naotora-19-2/
言うまでもなく、直虎という太陽を支えている月の政次。日なたと日陰。光が当たるところには必ず影があり。
なんだか囲碁をメタファーのように使っているように思えてきます。黒と白の石がなければ成立しない囲碁のように、お互いの存在が不可欠でどちらが欠けても成り立たない世界、のような。
また、直虎と政次がそれぞれ、虎松と亥之助に違った秘策を授けたことも、お互いを補完し合うような意味合いに取れました。
勾玉とかたわれ
こうやって考えていたらあるひとつの形を思い出したんです。
勾玉。
勾玉は古代より神宝とされ、三種の神器の一つ。
三種の神器とは八咫鏡(やたのかがみ)草薙剣(くさなぎのつるぎ)、
そして八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)です。
神々の国、出雲で造られる勾玉は古代より朝廷に献上されてまいりました。
勾玉はその形ゆえに月であり、胎児であり、魂を示します。勾玉が二つ合わさることにより、
月が太陽に、胎児が生命誕生に、そして半身の魂が円になり和をしめします。
勾玉の形の由来は、胎児、魂、月など、様々に言われてるそうですが、これ、という結論は出ていないそうで。
面白いですよね。勾玉が2つ合わさると、月が太陽に、胎児が誕生し、半身の魂が円になって和が生まれる。
ガラスの仮面でも、「魂の片割れ」という言葉がよく使われていますが、ふたりの関係はこの魂という言葉でも説明できるかもしれない。
ひとりでいては不安定でも、ふたりでいたら和が生まれる。
政次がひとり直虎を思い慕っていてもそれは一方通行で。ふたりが密約のようなものを交わしてから、だんだんと自分にとって彼がいなくてはならない唯一無二のひとだと直虎が気づいていく。(それが恋なのか愛なのかわかりませんが)未だ完全に気付いたわけではないですが、たぶん、その起爆剤になる龍雲丸の存在でお互い認識するのではないかなと。
そして、史実に忠実に描かれるとなると、どうしようもない別れが訪れてこの関係性に終止符が打たれるんでしょう…
いや、終止符は打たれないのかな。身は滅んでも、いつまでも永続していく精神性を持ち続ける関係。
南渓和尚が、直親が亡くなったときに言った言葉。
己を責めたとて死んだ者は帰らぬ。じゃが、生きておる者は死んだ者を己の中で生かす事ができる。例えば、偲ぶことで、例えば倣うことで、時には倣わぬことで。
この言葉がブーメランのように戻ってくるのかもしれないなぁと思います。
しかし、日曜日の夜がこんなに待ち遠しくなる日が来るなんて。
楽しみましょう。
************ お越し下さりありがとうございました。
あじさい