失敗、挫折、ぜんぜん大丈夫
若い時の苦労は買ってでもせよ、っていうことわざがありますね。
ベテランの先生
私が教師をやっていた時に、50過ぎたくらいの男のベテランの先生がいました。
社会を教えていたのですが、とても生徒から人気でした、厳格でそれほど親しみやすいわけじゃない。若くもない。それなのに、授業が楽しい面白い、と生徒たちは言っていました。
授業がわかりやすいというのがまずあって。
それにプラスして、その先生のしてきた経験、挫折、失敗などなどをとりまぜて、具体的に話をした上で結論を導き出す。
今になって、そういう具体性、それも自慢とか成功体験じゃなく、恥ずかしいような失敗、悔しい挫折、バイトなどでした経験を包み隠さず(少しは盛りつつも)自己開示すること、それが支持をされていた原因なんだろうなと思うんです。
語ることがない自分
翻って、自分。
なんとなくいろんなことをやって、少なからず経験はしてきたようには思うけれど、それほどの失敗も挫折もなく。
高校受験もしたけれど、別になんにも話すこともなく。
大学受験はせずに推薦で決めてしまって、大変だった思いをしてなくて。
部活で苦労したこともなく。
生徒に話したいこと、伝えたいこと、湧き上がってくるような熱い思いがなかった。英語を教えたいっていうそんな単純なことじゃ、先生はできないんだと思いました。
中学の先生にとっては教科を教えることの占める割合はそれほど多くなくて、自分がどう生きてきて、そこから得たものが何で、失敗をどう乗り越えて生かせばいいのか、それを次世代に伝えること。
なぜ社会にはルールがあって、集団生活にはしてはいけないことがあるのか。なぜ学校に持ってきていいものと悪いものがあるのか。そういう訳わからないルールが当たりまえで、いつも親や先生の言う通りに疑問を持たずにやってきたただのつまんない優等生が先生になるもんではない、と痛感しました。
思い通りにならないよね
若い時の苦労は買ってでもせよ。
ほんとにその通りだと思いますよ。受験が思い通りにいかない。就活がうまくいかない。思い通りにいかないのがふつう。それが生きているということ。
だから、少しくらいうまくいかないことがあろうと、後からネタになるわふふふ。って思えばいいんじゃないかな。と言いつつ、もちろんキツイ。
娘が受験していてなかなか思い通りにならないのをつぶさに見ていると、ほんとに胸が潰れる思いがします。
それでもね。この経験が、そうやってキツイ思いをしつつ前に進もうと諦めずにやろうって思うその気持ちが、いつか生きるときが来る。半世紀生きてきた私は、そう思うんです。
皮肉にも、先生をやってうまくいかなくていろいろ経験したことが、今は話せるネタになっているという笑 いくらでもダメダメな話ができます。
失敗や苦労や挫折は私たちの幅を広げます。ひとの痛みを知ることができます。失敗しても大丈夫だって思うことができます。そうやって優しくなれます。
まぁ、いっか。と思えれば、明日も頑張れる気がしてくるんです。
*日々の暮らし手帖
にほんブログ村