カルテット 9話 なぜここまでこのドラマに惹かれるのかなぁ
さて。今日もう最終回がきてしまいます。
楽しみにしているドラマってなんですぐ終わっちゃうのかな。韓国ドラマみたいに24話でいいのに。
マキさんの行動の理由
9話は、マキさんが実はマキさんじゃなかった回でした。今までの4人の関係性を丁寧に描いてきてのこの回。パズルがきれいにパチパチとはまっていく様を観ていたら鳥肌立ちました。
1話に戻ってみました。マキさんがベンジャミンさんの嘘を追及して彼が職を追われることになり、道端でベンジャミンさんの真っ赤な帽子が風に舞っていく場面。
他の3人は親切にその帽子を追いかけていくのと対照に、マキさんは前を向き、けしてそちらの方を見ない。
ベンジャミンさんが、お金のために死という誰もが何も言えない状況を使って周りを騙すこと = マキさんの義父が母親を死に追いやった加害者の家族に対して執拗に賠償金を求めたこと
なんだろうか。自分は弱い立場なのだから何をしてもいいんだという考え方がどうしても許せなかったのだろうか。
死を人質にしてそこからお金を得るということが、母親の死を道具のように使ってお金を求め続けていた義父と重なってどうしても許せなかったんだろうか。
やはり、夫さんが言っていたように、マキさんは義父が賠償金を求め続けるのに耐えられなくて、そしてそれを止めさせるには自分がいなくなるしかない、と戸籍を買って逃げたんだろうか。
私はあのマキさんの横顔の凛とした顔が1話から忘れられないんです。一見すると出し抜く形になったことに対してのあの顔。他の3人がベンジャミンさんに対して抱く同情と言ったものを全く受け付けない表情でした。
その理由らしきものを9話で見せる。この物語のつながり具合がたまりません。
誰もが知られたくない過去のようなものを持っていて、マキさんとすずめちゃんそれぞれの持つ傷というかかさぶたというか、それを共鳴させていくふたりの関係性がやはり好きです。
会話でわからせる
9話は涙なしには見られないシーンをこれでもかとかぶせてくるんですが、特に会話そのものでその人の思いを視聴者に見せる珠玉の場面がラストにあります。
9話のイントロダクションで、ウインドゥショッピングをしているマキさんとすずめちゃんの会話があります。
マキ「すずめちゃん、誕生日って4月だっけ」
すずめ「3日」
マキ「ふーん」
すずめ「え、なんかプレゼントしてくれるの?」
マキ「聞いただけ」
すずめ「ふ。マキさんは…8月…」
マキ「8月10日。え、プレゼントしてくれるの?」
すずめ「聞いただけ?」
誕生日を聞かれたマキさんはすずめちゃんの台詞にかぶせるように、8月10日と言います。
でも。マキさんはマキさんじゃなかった… 戸籍の売買、義父の死に関して警察が事情を聞きたいとやってきます。マキさんは3人の前で自分は嘘だったんですと告白します。
そして警察に行く直前、4人での最後の演奏が終わった後、マキさんは別府と家森にそれぞれ言いたい言葉を伝え、最後にうなだれているすずめちゃんのところへ自分のバイオリンを持って行きます。
マキ「すずめちゃん、預かっててくれる?」
すずめ「マキさん」
マキ「うん」
すずめ「誕生日いつ?」
マキ「6月1日」
すずめちゃんは、やっと笑って、マキさんからバイオリンを受け取ります。
すずめ「一緒に待ってるね」
マキ、微笑む
すずめちゃんが再度誕生日を聞き、それに対して、本当の自分の誕生日を伝えるマキさん。
この会話だけで、マキさんとすずめちゃんの信頼と友情と愛情がそこにあることを伝える。8月生まれの早乙女真紀ではなく、6月1日生まれの私がほんとの私なんだって、マキさんがずっと纏っていた嘘を脱ぎ捨て、ようやく自分になった瞬間。
これまでのすずめちゃんとマキさんの親に絡む過去とふたりの交わした会話とハグと。
いろんなものがごちゃまぜになって悲しくて温かくて繋がるこころを情景と会話とでこんなにも多くのことを、こんなにも深いことを伝えるドラマ。だから惹かれてしまうんだな、と。
以前ほかのドラマで、あるキャラにはまり込んでしまったことがありました。でも、その時とは違って、このドラマはキャラも会話も小道具も台詞もすべて、そこにある空気全てひっくるめて、心をもっていかれるドラマでした。
そのドラマの最終回。笑っても泣いてもあと1回。さよならだけが人生だ。そんな気持ちで観ようかなと思います。
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