政虎~制作の勝利の瞬間 ~25回 おんな城主直虎~
今回観終わった後、なんだかもう言葉が出てこず、頭がパンク状態で、ふと、「語り得ぬものについては沈黙するしかない」っていう言葉が脳裏に浮かびました。
でも、本当に、沈黙するしかないと思うのであれば、そういう言説すら語ることなく無言の沈黙の世界に自らひきこもらなければいけなくなり、自己矛盾そのものであるわけで。
だとすれば私も何かしらトライしてみようかと。私の言語の限界は私の世界の限界であるにしても。
先手で言い訳してますね笑 前置きが長くなりました。
あらすじ
井伊の材木をまとめて買い取りたいという商人が見つかり、張り切る直虎(柴咲コウ)と方久(ムロツヨシ)。一方、井伊を去った龍雲丸(柳楽優弥)たち一味は気賀に戻り「龍雲党」を旗揚げする。駿府では今川氏真(尾上松也)が同盟を破った武田への対抗策として「塩止め」を行い、武田家と通じる商人の取り締まりを強化していた。そんな中、井伊家の材木の商い先である「成川屋」が三河の徳川に材木を流していることが発覚する。その事実から今川に謀反を疑われた直虎は、駿府へ申し開きをしに行くことに。直虎は今川が最初から申し開きを聞き入れるつもりがないと悟り、井伊の材木を取り戻すことで忠義を見せるという策を考える。道中薬を使って熱を出し時間を稼ぐ直虎。氏真と対面の場に臨んだ直虎のもとに駿府城下に次々と材木が運び込まれているとの知らせが入る。
第25回「材木を抱いて飛べ」|あらすじ|NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』
今週の雑感
どこから始めればいいのやら。
大河ドラマというジャンルに関して、今年は朝ドラみたいだとか、スイーツだとか、合戦がないからつまらん、とか、いろんな声をネットで見聞きしているんですが、いつの時代も、「昔は良かった」とか「今の子供はなっとらん」とか、そういう言説唱えるひとっていますよね。
もうそういう決めつけや、批判のための批判みたいなの、やめませんか。って思いました。大河ドラマがある。観る。観ない。選択するだけ。
と同時に、あらゆる批判も折り込み済みで、この大河ドラマを作り上げている方たちの勇気と熱意にぐっときました。
今回のある場面で、ここをこうやって描きたい、という作り手の持つ目標というか、目的がちゃんとあって、その為に何話もかけて、或いは最初の回から、いわば囲碁でひとつひとつ石を置いて勝ちへ向かっていくように、綿密に、丁寧に、盤石に作られていることに、唸りました。
もうどこの場面かおわかりですよね。
直虎が全てを内包してひとりで立つ
井伊の経済復興の契機になると思われる木材の売買。武田に塩留を行っているのにそれほど上手くいかずいらいらしている今川がここぞとばかりに言い掛かりを付けてくる。非道だ… 小さい国というのはここまで無下に扱われなきゃいけないのか…
でも、直虎は揺れない。慌てない。
「 急いては悔しいではないか。慌てふためいてはそれこそ相手に踊らされておるも同じじゃ。かような姑息な手にの。案ずるな。道は必ずある。必ず。
劇伴の重厚さと共にこの場面は重かった… 家臣に急くなと窘めつつ、内から湧き起こる怒りをこぶしを握りしめて耐える直虎。前回、おとわはもうおらんのじゃなぁと南渓和尚が寂しがっていたけれど、おとわがいなくなったわけではなく、彼女の持っていた破天荒さとイノシシぶりが形を変え、ワンランクアップした瞬間を見たような思いがしました。
「道は必ずある」
小さい時のおとわ、竜宮小僧の次郎法師、これまでの全てが直虎の中に生きている。おとわがいなくなっているわけではなく、それを全部血や肉にして、あるべきというかありたいと思う領主像に近づいていっている、というのをひしひし感じられた場面でした。
そして。続くのがこの場面。もう説明は要らないかと思います…
直虎が囲碁をひとりで始め、碁盤が現れ、そうしたらそこに直虎ではない見慣れた手が… いつもの灰色のを着た、血管の浮いた手…
そうきたか~~~~!!!と。
ここ。この場面をここまで劇的にエモーショナルに見せる為、どれだけの前フリを着々と私達に見せてきたことか…
囲碁を介して虎松の成長を見せ、虎松x亥之助では直虎政次ふたりの囲碁の戦い方の違いを見せ、外的には通じていることを隠す龍潭寺で重ねる密会は囲碁をはさんでの政の話… 政次との二人三脚で自らも政策を考え、「使われずに使う」ことを学んでいった。
この囲碁の持つ意味の多様性をこれまでに染み込ませてきたんですよね…
色気も何もない話をしているのに、ほのかに匂い立ってくる空気。囲碁を見るだけで、その多くの情報量が脳裏に浮かんで、観ている者全てが共有する認識と理解をノックして引き出す。更にひとり囲碁を重ねて表すことで見せる、「ひとりなのに繋がっている」、「別々の場所にいるのに向き合っている」そういう重層性が波のようにざぁっとやってきて、いつまでもいつまでもひかず…
これ、ふたりの関係性の、ある意味ひとつのクライマックスかもしれない… 半身であるとか片割れであるとか、少女漫画チックな言い方をも呑み込む、「ふたりでひとつ」。制作が描きたかったであろうもの凄い映像でした。
今川の重臣が自ら乗り込んできて、政次が目付としての職責を全うするには、絶対に政次が今川寄りであることを貫かなければならなくて、ふたりが一緒にいてはいけないわけで。
でも、既に直虎は、それまでに政次から得た知識や考え方をトレースしつつ、自ら策を講じることができるようになっていた。井伊の存続及び自分が領主であり続けるためには木材を取り戻して今川への忠義の証にするしかなく、その為の策も、プランAだけじゃなく、BもCも考え家臣に指示していました。
直虎が、幼い頃の自分も、政次の信頼も家臣の憂慮も全て己のなかに納め、理不尽なことへの怒りを原動力に立ち向かっていく姿が胸熱過ぎて、涙が止まらなかった…
そして、更にあの場面へと続くわけですが、今日はちょっと力尽きました。また続きは次回にします。ふぅ。言葉にするって並大抵じゃないですね…
囲碁の持つ意味について書いてます。
テレビドラマ
にほんブログ村