さよならだけが人生…なのかな? ~24回 おんな城主直虎~
龍雲丸が去って内政が一段落し、さて次はいよいよ… と周りの国々の有名な人物が登場し、瀬名姫の台詞で気になるフラグもあり。おとわはもうおらんのじゃのぅ…という和尚の表情とたけの涙に泣かされた今回。
あらすじ
直虎(柴咲コウ)からの仕官の誘いを断った龍雲丸(柳楽優弥)。一方駿府では、今川氏真(尾上松也)が同盟を破った武田家への報復として「塩止め」を行うとともに、国衆の離反を防ぐための策として縁談を積極的におしすすめていた。直虎のもとにも、新野家の三女・桜(真凜)を今川家重臣の庵原家へ嫁がせよという命が下る。一方、岡崎では緊張の面持ちの松平家康(阿部サダヲ)が織田信長(市川海老蔵)と面会していた。家康に武田との縁を組ませぬよう信長自ら岡崎に参上し、信長の娘・徳姫と家康の嫡男・竹千代の縁組を進める。同じころ桜の婚姻を案ずる直虎は、南渓(小林薫)とともに嫁ぎ先である庵原(いはら)家を訪ね、桜の夫となる助右衛門(すけえもん/山田裕貴)と面談。その人柄に安堵する。そして桜が井伊から駿府へ嫁いだころ、岡崎城では竹千代の元へ織田から徳姫が輿入れする。
今週の雑感
初心者マークがとれた領主の誕生?おとわにさよなら?
龍雲丸から仕官を断られた直虎が、自分との違いを言葉にして語っていました。
直虎「 しかし、のう、但馬、皆あの者たちのように生きられればよいであろうの。 侍にという話をやすやすと蹴ることができるのも、あの者たちが何にも頼らず生きていけるからであろう。ひとりひとりの身の内に、生きる術を持っておれば、好きなように生きていけるのではないかの」
遠い目をして語る直虎は龍雲丸がいなくなったのを寂しく思う暇もなく、隣国と姻戚関係を結ぶという、戦国時代の、悲しいけれども逃げては通れない政に着手せざるを得ない。武田との手切れで、危機感を増す今川が周りの国衆たちの人質とりに躍起になっており…
男子ならば跡を取り或いは家を守り戦いに臨む。女子ならば、家のために人質として仲の良くない隣国にでも嫁いでいく。
窮屈。家に縛られ、土地に縛られ。自分の人生などなく、皆が家の駒として生きる。
政次「武家の婚儀とはさようなものにございます。利用するか利用されるか」
この武家の常識・習いの究極の対にいるのが龍雲丸たちで、この対比は鮮やかに彼らの生き様の違いをあぶり出します…
それでも直虎は、ただ単に桜(新野左馬助の三女)を駒として嫁がせるようなことはせず、相手がどのような人物であるのか、まあ値踏みに行ったわけで。政としての汚い部分を飲みつつも、あくまでも、桜本人の幸せを願う。そして桜に頭を下げる。直虎がずっと見せてきた情けの深い領主の姿でした。
和尚の嘆き
直虎は駿府でも有名になっており… 姻戚を結ぶにしても自分から手を考え、常識的な方策を述べる。南渓和尚はそれを聞き、残念がる。
つまらんのう。殿はもっと愉快な策を考えると思うとったのに… 粗相をして向こうから断らせるやら、桜の代わりに婆を連れていくやら。
そして、桜の嫁ぎ先、庵原に出向いた帰り、
和尚「殿の働きは認められておったのう」直虎「あれは迷惑ではなしでございましたのぅ。あほうなおなごが治める取るに足らぬ所よ、とみなされておった方が井伊はよほど動きやすいではございませぬか」和尚「もうおとわはおらぬのじゃのぅ。つまらんのぅ」
以前、和尚はこんなふうに語っていました。
お前の良さを殺してしまう気がしての。お前の良さは諦めの悪さとうまれついての型にはまらぬ考え方であるゆえな。
ずっと見てきた直虎が、手を離れて行く。寂しい… 私は泣きました。嬉しさよりも、寂しさが上回ることもある。それが刹那であっても。後からちゃんとその成長を喜べるんだけれども、でも、もうあの頃の直虎はいなくて、あの平和だった頃がそろそろ終わりなんだ、と思えば思うほど過去が愛おしく、過ぎ去った日々が懐かしく。
利用するかされるか
桜が輿入れし、その後直虎が政次に提案したのが、桜の姉妹、桔梗の縁組でした。
直虎「ひとつ、桔梗の縁談を取り持ってはくれぬか。そなたの今川への忠勤ぶりとも見せかけられようし、こちらから動くことで嫁ぎ先の舵を握ることもできよう」政次「今川の家臣でございますか」直虎「北条じゃ。北条ならば今川の唯一の味方。今川に怪しまれることもなかろうし、できれば動きを知りたいところでもある」政次「なかなか… よろしきお考えかと」
政次にまで褒められる直虎。ここでの北条という選択なのですが、19回「罪と罰」の回で、隣国との関係が未だ理解できない直虎の描写がされていました。
直虎「武田は然様な動きになるとは考えなかったのでしょうか。いや、そもそも武田は上杉と戦う為に今川と結んでおったわけで。これはまだ戦っておるわけです。となると、今川を切るというのは南北に敵を抱えることになるわけで…」
南渓和尚「そこはほれ、武田は北条とも結んでおるわけだから」
直虎「えと、しかし、北条は今川とも結んでおりますよね。そうなると…どうなるのじゃ??」
19回と言えば、木材泥棒騒動、罪人を打ち首にしないという直虎に対し、政次が厳しく諌めた回でした。そしてもちろん政治の世界のことなどよくわからず、ハテナ顔。
そして今回、その北条相手に姻戚関係を結ぼうと策を出しました。どうでしょう、この成長ぶり。政次から、桜の縁組の際に言われた、「利用するか、されるか」をちゃんと「する」方に舵を切っていきます。
周りとの関係を着々と築いていき、内政・経済(木材)も好調。ここまでうまくいっているのを見せられていると、この後の容赦ない仕打ちが想像されてほんとに恐い。直親が謀殺される少し前、幼馴染の3人が久しぶりに井戸脇で笑いあい、つかの間の幸せな時間があったことが忘れられません…
たけとの別れそして…
最近、たけが直虎に対して、「とうの立った」とか「古い方の姫様で」とか、ディスってるなぁ、目立ってるなぁ、と思っていたら…
思いもかけず、たけが自ら井伊のお家のために退くという選択を見せました。こういうできた家臣がいるっていうのは、家にとっては有り難いことだと思います。実際戦ったり、政や商いに携わっている者のみだけではなく、奥向きを預かる者がどれほど家のために働いているか。
唯一、姫様と呼ぶたけの退場。これは、和尚の「おとわはもういない」という感慨と呼応するように、初心者マークを付けていてナイーブな領主だった直虎との惜別であり、ここから無情で無常な世の中へ対峙していく領主の誕生だったんじゃないかなぁ…と。
さよならだけが人生か
今回のタイトル「さよならだけが人生か?」
この盃を受けてくれ
どうぞなみなみつがしておくれ
花に嵐のたとえもあるさ
さよならだけが人生だ
井伏鱒二「歓酒」
24回タイトルの後ろに「?」がついているということは、疑問を呈しているということですかね。
おとわにさよなら。たけにさよなら。桜にさよなら。そうなのか?
この後来るだろう、さまざまな「さよなら」。人生はさよならだけなのか。いや。
直親がそうだったように、死してもなお、人のこころに残る。こころに留め、懐かしみ、いつまでも忘れずに… (スケコマシながら…)
例え、二度と会えなかろうと、出会ったこと自体を喜ぼう。諸行無常であるならば、この一瞬の笑みと触れ合いを大事に…
この先、直虎が向き合わなければいけない、自分をまるごと理解し受け止め支えてくれる存在の喪失。ここへ向けてのカウントダウンが始まったと思わざるを得ないタイトルのような気がしてしょうがないです。
蛇足
井伏鱒二のこの翻訳を受け、寺山修司が詩を書きました。蛇足と思いながら。
さよならだけが
人生ならば
また来る春は何だろう
はるかなはるなた地の果てに
咲いてる野の百合何だろうさよならだけが
人生ならば
めぐりあう日は何だろう
やさしいやさしい夕焼けと
ふたりの愛は何だろうさよならだけが
人生ならば
建てたわが家は何だろう
さみしいさみしい平原に
ともす灯りは何だろうさよならだけが
人生ならば
人生なんか いりません「幸福が遠すぎたら」
寺山修司
テレビドラマ
にほんブログ村