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日々の暮らしにあるささやかな瞬間に気づけるか

Tree

肩に力がずっと入っていた日々を送っていたら迷子になってました。

偉大な勝利ではなく 

昨日の天声人語を読みました。そうしたら、卒業式にからんで、作家カート・ヴォネガットの卒業式講演集「これで駄目なら」について言及されていました。

 

偉大な勝利でなく、日々の暮らしにあるささやかで素晴らしい瞬間に、気付くことが大事だと彼は説く。木陰でレモネードを飲むとき。パンの焼ける匂いがするとき。魚釣り。漏れ聞こえる音楽に耳を澄ますとき。

 

天声人語2017年3月27日

 

実際のヴォネガットの文章はこうです。

さて、叔父のアレックスは今天国にいる。彼が人類について発見した不快な点の一つは、自分が幸せであることに気づかないことだ。彼自身はというと、幸せなときにそれに気づくことができるようにと全力を尽くしていた。夏の日、わたしたちは林檎の樹の木陰でレモネードを飲んでいた。叔父のアレックスは会話を中断してこう訊いた。「これで駄目なら、どうしろって?」
そう、君たちにも残りの人生をそういう風に過ごしてもらいたい。物事がうまく、きちんと進んでいるときには、ちょっと立ち止まってみて欲しい。そして大声で言ってみるんだ。「これで駄目なら、どうしろって?」

 

これで駄目なら『If This Isn’t Nice, What Is?』

卒業する人も、した人も、まだの人も 作家ヴォネガットによる“人生の役に立つ”講演集 | ダ・ヴィンチニュース

 

生活のいろんなことをいい加減になおざりにしていたことに気づく一瞬があります。毎日の繰り返しでものがそこにあるなぁとか邪魔だなぁとか気づいてるはずなのに直そうとはしない日々。布団の上げ下ろしですら億劫で畳みもせずにぱんぱんとはたくだけでした。

 

自分が幸せだとかそうじゃないとか、そういうことすらも考えない日々。

 

今日、自分の毛布の端と端をきちんと掴んできれいに畳んで、押入れに伸ばす感じできちんと入れてみたら、なんだか気持ちがぱぁっと明るくなったのを感じました。

 

ささやかな

私にとって気持ちが躍るささやかな瞬間のひとつに、一日のお疲れ様の意味でビールをぷしゅと開ける時があるんですが、それはまあおいといて。

 

何が私にとってささやかな瞬間かなと考えました。

 

朝一番に珈琲を飲む瞬間。公園を歩いていて、ふと素敵なフレーズが頭をよぎる瞬間。家の中の掃除をし片付け整えた後にモノが最小限になった瞬間。

 

偉大な勝利ではなくささやかな。

 

そんな瞬間を素通りせずに流さずに、あ、と一呼吸おいてしみじみと身体に行き渡るような時間を大事にできると、いいですよね。

 

思い出したのは

レイモンド・カーヴァー の小説「ささやかだけれど、役に立つこと」を、むかし村上春樹が翻訳していたことを思い出しました。その当時村上春樹と名のつくものなら何でも読んでいたので、このタイトルを思い出しました。彼の「小確幸」という造語は、この本の A Small,  Good thing から来ているそうなんですね。

 

「生活の中に個人的な『小確幸』(小さいけれども、確かな幸福)を見出すためには、多かれ少なかれ自己規制みたいなものが必要とされる。たとえば我慢して激しく運動した後に飲むきりきりに冷えたビールみたいなもので、『うーん、そうだ、これだ』と一人で目を閉じて思わずつぶやいてしまうような感興、それがなんといっても『小確幸』の醍醐味である」

村上春樹

ささやかだけれど、役にたつこと - Wikipedia

 

確かに、自己規制。面倒と思いながらも掃除をして片付けて汗をかきつつ時間をかけてきれいにした部屋を目にするのが幸せってところですね。

 

 

それからこれは最近読んでいる本です。何気ないほんとにささやかな瞬間を切り取ったエッセイ集。

 

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お越し下さりありがとうございました。

 

今日はもうカルテットないのですね…

 

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