日常のありがたさと脆さと
311に関連して新聞記事にあった言葉。日常のありがたさと脆さ。
震災のことを考えるとき、身近で被災したひとがいなくて離れた場所に住んでいて、帰宅難民だとか震災後の街や駅でのライトを最小限にしたほの暗い雰囲気などもテレビの中だけのことだったし、ましてや避難生活を強いられてその移住先でいじめが起きていることに無力さと怒りを感じながらも何もできず。もどかしさを噛み締めながら今年も11日の2時46分を迎えました。
1分間の黙とうをしました。
今日のタイトルにした日常のありがたさと脆さが頭に浮かび1分が過ぎました。
私が初めて感じた日常の脆さ
毎日の日常は淡々とさらさらと過ぎていきます。
ごはんがおいしいこととか、掃除が面倒だなと思うこととか、子供が言う事をきかないなとか、夫とはすぐ口論になってしまうなとか。
東北のあちらこちらであの日の2時46分の前まではそんな普通の日常があった。そしてそれが突然断ち切られてしまった。
私が中学1年生のある4月の夜。いつも通りに家族4人で時間を過ごしていたときに電話が鳴りました。
ひどく驚く父の声。
遠くに住む父の母、私の祖母の死を知らせる電話でした。元気に暮らしていた祖母はお風呂場で倒れ、そのまま亡くなりました。
62歳でした。
大好きな祖母でした。いつも笑っていました。快活で働き者で、彼女が採ってきたよもぎで作ったおだんごが大好きでした。小さい時、休みに泊まりに行くといつも朝起きてすぐに祖母のお布団に入りにいきました。
健康で元気だった祖母が一瞬のうちに亡くなる。大事だと思っていたひとの命がなくなる。
もう二度と話すことができない…
お葬式のことを今でも覚えています。生まれて初めて号泣しました。
こんな風に、当たりまえだった風景はなくなっていくのか…と感じた初めての出来事でした。
おとなになっても
10年前、同居していた義母も突然倒れました。前の日に元気に話をしておやすみ、と言ったのが最後でした。その後4年間入院しましたが意識が戻ることはありませんでした。
血のつながっていない義母ですが、その時の衝撃はひどくて、1年間くらいは病院を往復するくらいしかしていなかったと思います。
私の誕生日だったんです。その日。そして皆の為に天ぷらを作ろうと買っていた食材の数々が冷蔵庫に。
残された冷凍の海老を見て、それを料理しようとした義母と笑い合うことも話すこともできないという現実が夢のようでずっと身体がゆらゆらしていました。
今年10年が過ぎ、ようやく断ち切られた日常を客観的に見ることができ、こうやって言葉にすることができました。やっとここまでこれた、という想いがします。
時間がかかる
いつもそこにいた人がいなくなる。それに慣れていくには時間がかかります。
その人の代わりなどいないと実感していくうちに悲しみが更に広がります。
もちろんそれでも生きている私は毎日なんやかんやと用事を済まし、ご飯を食べて寝てそういう悲しみをやり過ごしていきます。
その悲しみが時間と伴に癒えて、笑える毎日を過ごしていくうちに、またその日常のありがたさを忘れてしまっていることに気づきます。
それを思い出す1日でした。私にとって震災は身近ではないけれど、私の周りにある日常とそのありがたさと、そして同時に脆さをちゃんと思い起こす日にしようと思いました。
*日々の暮らし手帖
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