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戦国、和尚の悔い、直虎の羅針盤 ~34回 おんな城主直虎~

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「いえ、今宵辺り但馬が来るやもしれませぬ」はぁ… しんどい。

 あらすじ

34回「隠し港の龍雲丸」

政次高橋一生)を失い放心状態の直虎柴咲コウ)は現実を受け入れることができずにいた。一人で碁を打ち続ける直虎を心配そうに見守る南渓小林薫)。一方、徳川家康阿部サダヲ)の軍勢は井伊谷を通り抜け遠江を攻め進み、今川氏真尾上松也)のこもる掛川城へと迫りつつあった。これに対し、今川勢も粘りを見せ、徳川軍は苦戦を強いられることとなる。戦の波は気賀の方久ムロツヨシ)や龍雲丸柳楽優弥)たちの目前にも迫っていた。徳川の陣を訪れ助けを求めた方久と与太夫本田博太郎)に、家康は先に民を逃がした上で堀川城の大沢を攻める約束と引きかえに中村屋の船を徴用する。一方、政次の死をいまだ受け入れられずにいた直虎の元に辞世の歌が届けられた。直虎は全てを思い出し、改めて喪失感を向き合うこととなる。そのころ、龍雲党は気賀の民を逃がすべく堀川城に忍び込んでいたが、大沢勢に気づかれ衝突。時を同じくして徳川勢が攻め込み、堀川城にいる者は皆殺しに。徳川と交わした約束を反故(ほご)にされた方久は、惨状を伝えるべく命からがら直虎のもとを訪れるが…。

 

第34回「隠し港の龍雲丸」|あらすじ|NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』

 

2週続けての修羅を見せられるのは正直きつい。Twitterのつぶやきで見つけたのですが、もはや「娯楽ではない」。確かに。あの台詞にはあの表情にはどんな意味が… 政次と直虎の関係は… などと考えていた日々が懐かしい…  人の死に行く様というのはどんな大河でもあることなのに、1話から見せてきた積み重なりと、慣れ親しんだ人物たちの容赦ない死に、改めて1年というスパンで描くドラマの力強さと圧がすごい。

 

 らしくない和尚

龍潭寺にやってきて直虎の様子を窺う龍雲丸に、和尚様は今までになく弱気な台詞を吐くんですよね。目の前で直虎が政次を刺したその衝撃と、直虎がその事実を受け止められず但馬を待ちながら碁を指しているのを見て、小さい頃から亀を含めた3人を見守ってきた和尚にとって相当過酷な現実の中、心弱くなっているんだと想像できます。

 

龍「らしくねぇなぁ、和尚様」
南渓「あやつを城主にしたのは儂じゃからのぉ。斯様なところまで追い詰めたと思うとのぉ」
龍「まぁ、ああやってる分にはつらそうでもねぇし、本人は案外幸せなんじゃねえですかね。哀れだっていうのはこっちの勝手な見方でさ」

 

 初めて言及しましたね。城主にしたのは自分だと。南渓和尚のもつ自分の出自に関するコンプレックスというかなんというか、井伊をコントロールしたくてもできなかったのが、次郎を見ているうちに、城主の器であることに気づき、ある意味自分の代わりに井伊を治めるのを見たいと思ってしまったのか?

 

政次と直虎はふたりでひとつだと、32回で鳥という言葉を使って表現していました。翼をもがれてしまい、道に迷い彷徨っている直虎を真綿でくるむようにそっとしておきたい和尚。ずっと母のように優しく見守っていた昊天さんが但馬はもういないと言いかけた時に止めたのが和尚でした。今までの役割だったら反対なのに…

 

鈴木殿に見せた静かだけれどどこにも持って行き場のない怒り。それは、可愛がっていたふたりを地獄に落としてしまった自分への怒りでもあるのかな。黴びた饅頭、自灯明、仲良しごっこでは政次の策が水の泡ぞ…

 

良かれと思って直虎を導いてきたんだけれど、やはり傲慢だったのかも… その因果が巡ってきて打ちひしがれている。

 

鈴木殿が政次の辞世の歌を持ってきた時も、但馬の死を受け入れていない直虎に見せまいと慌てていましたし、その夜、直虎が後を追っていきはしまいか心配で。直虎の居室の横で政次の辞世を読みながら語り合う和尚、昊天さん、傑山さん。

 

「鶴らしい」という傑山さんのひとことで、彼らにとってはずっとおとわと鶴でいたこと、見ている私たちにも幼少期3人のあの笑顔が浮かんで更に切なくてしょうがない… 

 

 

龍雲党の運命

 

「そういやぁ、この城は皆を逃がすために作ったんだなぁ…」

 

力也の台詞がささります… 

 

そもそも龍雲丸は武士を信じず、自由気ままに生きてきた盗賊。それが直虎との出会いで大きく考えを変えることになりました。

 

直虎「徒に奪われることもなく奪わずとも済む。そなたが奥底で望んでおるような土地など日の本のどこにもないぞ。己で作りださねば誰も与えてなどくれぬ。それがわかっておるから龍雲党の旗を上げ、人を受け入れてきたのであろう。そなたはそなたなりに気賀をそうしようと励んできたのではないのか。
 
ここで放り出してしまって良いのか。いきなり全て思い通りとはいかぬ。じゃが地道に望む方へと進ませていくという手はあろう。」
 
25回「材木を抱いて飛べ」

 

直虎が信用に足る人物であったことが彼を変えた。ひとはひとを変えられるんだね… 龍雲丸に対して羨みと憧憬と淡い恋心のようなものを持っているのかな。政次が複雑な思いになってしまうほど、直虎と龍の関係も深くて強い。

 

そもそも、直虎が木材泥棒である龍を差し出しておれば、厳しく罰しておれば、近藤殿に恨みをかわれることもなく、政次を失うこともなかったかもしれず。龍は直虎に出会わなければひとつ場所に留まることなく今でも盗賊として各地を転々としてたかもしれず。

 

龍雲党のメンバーがそれぞれ個性豊かで、井伊の家臣たちとのぶつかり合いを見せつつ、仲良くなっていった。龍(かしら)を中心としたファミリーのような彼らの、武家とは違う関係性もいいなぁと思ったし、盗人でなくなって地に足をつけて地域(気賀)に貢献するよろず屋になって安定した生活を送っている彼らを見てるのも楽しかった…

 

でもそんな彼らの日常は、武家の考えひとつで、それも殿様(家康)が決めた事とは全く違うことが家臣たちによって進められて壊される。理想主義に少し偏ってみえる家康の側にいる家臣はお家第一なのか、或いは、名も無き民を助けるなど面倒くさいことは御免だと思っているのか、非情に嫐り破壊していく。

 

直虎が常慶を通じて内通した徳川との口約束は簡単に覆された。そして今回、方久や中村屋が家康本人とした約束も反故… 

 

簡単に信じてはいけない。簡単に誰かを頼ってはいけない。上手い話には必ず裏がある… 戦国の世とは…? 歴史に埋もれている数多の殺戮の非情さを掬い取って見せているよう。合戦を通して英傑たちがいかに天下をとったか、というような戦の華々しさを否定し、いかに戦は悲惨で非道でただの殺し合い犬死でしかないか。

 

龍雲党のメンバーが、そしてその他の名も与えられていない民がばたばたと殺されていく、これが戦国と人の死というのがどこまで痛いものなのかを見せられ… 

 

去年観た「この世界の片隅に」もそうだったけれど、小さい場所での日々の生活が、自分たちの全く関係ない事情や政治の勝手さでいとも簡単に壊れていくことの無常さ。それに対する怒り。中世も先の戦争もみな一緒… けして華々しいものじゃない。

 

井伊が同じことを繰り返し誰かの犠牲の上に成り立っている事の相似形で、この世はいつも誰かの犠牲の上。その悲哀が伝わってきてやるせなくてしょうがなく…

 

直虎

直虎の台詞が。

 

「直虎「いえ、今宵辺り但馬が来るやもしれませぬ」

 

この直虎の台詞を聞いた時。背筋がぞっとしました。政次の死を受け入れていない事。いかに悲しみや衝撃が大きかったかという事。それをひとつの台詞で表せるという事。

 

直虎「考えなしでは但馬にばかにされまする」

 

これひとつとっても、これまでの政次と囲碁をしながらの談笑の中で、政次とどういう関係を築いてきたか、彼を師とも思い、尊敬する同志とも思い、ばかにされないよう策を一生懸命考えてきた、褒められたいと思ってきた。気賀の城ができた時に、政次から「大したものだ」と褒められた直虎の破顔が思い出されます。

 

23回「盗賊は二度仏を盗む」で、直虎が珍しく言っていました。

 

政次「申し上げたところで既にお心は決まっておりましょう」
 
直虎「そんなことはない。此度の事については政次の考えに従う。政次は誰よりも井伊のことを考えておるのは明らかじゃ」

 

政次の考えに従う。これはある意味恐いなぁって思ったんですこの時。政次への全幅の信頼があって、彼の考えに従う。一見綺麗なんだけれど、直虎の政次への依存が過ぎるんじゃないか?まるで彼が直虎の羅針盤のようになっていて、彼がいなくなった時に何をどうすればいいのかわからなくなって己を見失ってしまうのではないか…

 

 

直虎「これをとめねば今までの但馬の苦労は全て無に帰してしまいます。なんとしても近藤殿をとどめねば」

 

近藤殿が良からぬことを企んでいると思いこんでいる直虎の台詞。「但馬の苦労」とあります。此れを聞いて、私が思い出したのが、和尚の台詞でした。

 

南渓「仲良しごっこをしていては政次が積み上げてきた策は水の泡となるだけぞ」

 

18回「あるいは裏切りという名の鶴」

 

政次の本意に気づいた直虎が和尚に相談した際に和尚が言った言葉。自分を欺き、井伊の皆を欺いて嫌われ者となってまで盾となってくれていた政次に対して、どうすればその苦労を無駄にせずに報いることができるか。それを直虎はずっと考えてきたと思うのです。

 

政次の死を受け入れられないのは、ずっと感じている政次への感謝、彼の思いに報いる事を自分に課し、使命としていたのに、どんな事情であれ、その彼の命を自ら奪ってしまうことなどあるわけがない、という直虎の思いなのでしょうか。 

 

こんなに悲痛でひとりの人への思いに溢れた台詞があるのだな…

 

そしてその後にした物音を聞いて

 

直虎「待ちかねたぞ!但馬!……気のせいか…」

 

誰かの不在の悲しみと、思慕と、切なさと。和尚に見せる顔のあどけなさと、夢の中で政次を待つ直虎の不思議そうな表情。コウさまの持つ中性の魅力、こどもおとなという範疇に入らない造作。本領発揮でした。

 

そして。政次の死を思い出させたのは、辞世の歌なんですね。

 

夢の中にいた直虎をこちら側の世界にひっぱり戻したのが一枚の紙、そこに政次の手蹟による、政次と直虎にしかわからない情景を思い起こさせる歌。直虎にとって政次は不可欠で片翼で。そして正気に返したのも政次だった…

 

 

白黒をつけむと君をひとり待つ天つたふ日そ楽しからすや
 
 
直虎「ああ、もうおらぬのでしたね、但馬は。但馬は…もう… 私が… ああ…」

 

すいません、書いていて泣いてます。前回も辛かったけれど、今回のこの直虎が感じる痛みが画面を通して伝わってきて更に辛いです。

 

 

 

直虎が領主になった12回からこれまで、家臣との間の絆や龍雲党との繋がり、民との信頼関係がとても微笑ましく楽しく描かれていただけに、ここのところの展開がきついぞ… と思っていたのですが、結局ドラマとしてはそれは大成功なわけですよね。楽しい時間があればある程、それが失われる瞬間が身を切られる様に辛いわけで…

 

龍雲党のメンバーそれぞれのエピソードだってそう。ゴクウが井伊の女の子から誤解されたけれど仲直りしたり、船にくくりつけられて風を呼んだり、そして人身御供のゴクウから名前が付いているんだろうなという事も、徳川が助けに来てくれたと思って明るく手を振るゴクウが一番最初に矢に突き刺されて倒れるときに、私たちは思い出す。

 

それまでの積み重ねがあっての悲劇。ある意味狙ってきているわけです。ああ、今回も脚本にやられてしまった… と思う。この回は、これまでの幸せの反転を全て見せつけられ、癒やしの六左もおらず、いつも笑わせる役の方久も狙われ逃げ出し裏切られ呆然とし、どこにも救いがないんですよね… あああ。

 

そして最後に龍雲丸。逃げ出そうとした。でも民のことを考えて自分たちだけで逃げ出すことはできなかった。彼を襲う悲劇が、こどものころに遭った経験と呼応するかのように目の前に。そして直虎の夢では槍で突き刺しているのが龍で…

 

次回はどういうお話になるのでしょう。龍雲丸と直虎が、政次亡き後、どのような展開を見せるのか、直虎が政次にもっている思いに何か名前が付けられるのか。楽しみに待つことにします。(毎週ジェットコースターに酔いつつ)

 

 

hydrangea.hatenablog.jp

 

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お越し下さりありがとうございました。

 

さて明日から9月ですね。

 

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