hontou no
氏真を幼名呼びし、あの武田信玄には晴信と。そして信玄からは「化け物」呼ばわりされるおんな権力者、寿桂尼劇場でございました…
あらすじ
気賀の城主となることを認められた直虎(柴咲コウ)は、方久(ムロツヨシ)に城代を任せることで商人の自治を保障する。危篤状態からの復活を遂げた寿桂尼(浅丘ルリ子)は甲斐の武田信玄(松平健)のもとを訪れ、武田家に嫁いでいた氏真(尾上松也)の妹・鈴(岸茉莉)を駿府に返すよう要求する。寿桂尼はさらに北条氏康を味方につけ、武田への圧力を強める。北条の仲立ちによって今川と武田の争いはいったん落ち着くが、寿桂尼と氏真の間には深い亀裂が生まれてしまう。寿桂尼が再び病床に伏し命が危ぶまれるが、氏真が催したうたげの音に誘われ意識を取り戻す。一方、井伊では直虎と政次(高橋一生)が寿桂尼の容態を鑑み、今川から徳川に寝返る算段をはじめる。そんななか、直虎は寿桂尼の呼び出しを受け、久しぶりの対面を果たすことに。二人は出会いからこれまでを振り返って涙し、変わらぬ主従関係を誓うが、その胸の内はそれぞれの家を守ることを第一としていた。
今週の雑感
泣いた… 何回も泣きのポイントがあった… いつも直虎からの視線で観ているのに、こうやって敵方今川にも物語があって、孫と祖母が仲違いをしてそれを乗り越えて… って泣いた私の涙はどうなる!!!
すごかったです。寿桂尼と信玄公との化かし合いも、何度となく倒れているのにいつも息を吹き返す不死身さも、直虎を前にして流す涙もその後すぐに赤いバッテンを付けるのも。
ザ、寿桂尼劇場。
怖い。それなのに、雅楽の音色を聞いて息を吹き返して歩きさまよう寿桂尼の可愛らしいこと。ほんとうに「化け物」でした。
おんな権力者
寿桂尼が老いてもなお、武田や北条に対して頭脳戦を駆使してるところ痺れました… すごいね、ほんと一筋縄ではいかない。そりゃ氏真なんて赤子だろう。
老いを権力闘争のカードに使う。自分に対してすら客観的で冷酷で、頭が切れるだけじゃなく、情というものをも最大限に利用する。
そして、そこに直虎が絡め取られる…
同じおんな権力者としての、ここまでの対比を見せつけられて、もうあっぱれ、としか言えませんでした。今回、冒頭でも振り返っていた直虎が領主となってからの成長ぶり、充実ぶりを、最後の最後で寿桂尼がまさかりでぐさっと刈っていった感…
間違い
この回は、これまで見せてきた直虎の歩み・進歩がまだ道半ばで未熟であることを炙り出したように思います。来るXーdayに向けてのカウントダウンが本当に始まってしまい背筋がぞくぞくします。
どこが間違いの始まりなのか。
その間違いに気付く者がいなかったということなのか。
直虎「大方様は私にとって敵であったのか味方であったのか」和尚「ずばり聞いてみてはどうじゃ」
和尚様でさえも、寿桂尼の本当の怖さを知らない。敵であったのか味方であったのか、という問いが見せる直虎の甘ちゃんぶり。味方であるはずがない。そう、直親を謀殺されたこと一点が表す紛れもない今川の正体。
政次「最後のお勤めとお思いなのでしょうか」直虎「お勤め?」政次「今川の家来や国衆の多くは先代や先々代に受けた恩義がございます。大方様に会うことはその恩義を思い出すことになるでしょう。少しでも離反を食い止めようとしておられるのでしょう」
政次でさえも、あの寿桂尼が死の帳面を作成していることにまでは考えは及ばない。死にかけている寿桂尼がまさかそんなことを考えているなんて確かに誰も考えないだろう。
直虎の真っ直ぐさ
直虎の寿桂尼への思慕のようなもの、後見を許してくれたということが、己の思いを真っ直ぐに、そのまま寿桂尼に述べてしまった理由になるのだろうか…
寿桂尼「そなた、あれをどう思うておる」直虎「あれ、とは」寿桂尼「直親のことじゃ。恨むなと言う方が無理であろうの。今でも恨んでおろう」直虎「家を護るということはきれいごとでは達せられませぬ。狂うてでもおらねば、己の手を汚すことが愉快な者などおりますまい。汚さざるを得なかった者の闇はどれほどのものかと… そう思います。」
この直虎の言葉によって、寿桂尼が死の帳面に赤いバッテンを付けることに繋がってしまった。
寿桂尼「あれは、家を護るということはきれいごとだけでは達せられぬと言うたのじゃ。いつも我が己を許すために己に吐いておる言葉じゃ。恐らく同じようなことを常日事思うておるのであろう。我に似たおなごは衰えた主家に義理立てなど決してせぬ。」
仮名目録を作り、今川の全盛時代を築いたおんな戦国大名は、一筋縄でいくような相手ではなかった… 一回目見た時に私は泣いたんですよ、あの寿桂尼の涙に。でも二回目見た時は、涙すら自然で芝居を芝居に見せない肝の太さを感じ唖然としました… これは勝てない… 直虎も赤子のようだ… (ルリ子さまの凄み)
直虎が言った言葉は嘘偽りがなく、その通りなんだろう。ただ、それを寿桂尼に吐露したことがそのまま自分に跳ね返って抹殺しにくるなんてことは夢にも思わず、寿桂尼の、家を思うが故にする(そしてそれまでしてきた)非情がそのまま、直虎自身が自分と同じだからこそ廃する、という思考になるなんて思いもしませんよね…
以前、直虎は、
阿呆なおなごが治める取るに足らぬ所よとみなされておった方が井伊はよほど動きやすいではございませぬか。
と言っていました。その阿呆ぶりを寿桂尼の前で演じなければいけなかった。直虎の有能、諦観ぶりを寿桂尼には見せてはいけなかった… 「我に似た」という最大の賛辞
がそのまま井伊を危うくするとは…!!!!!もう、鬼脚本。
足りないものを得るには
これから、きっとこの非情な権力者の仕打ちを目にしなければいけないのだろうと思います。そして直虎の未熟さを埋めるため、足りないものを得るためにはそこを通らないといけないんだろう…と。
「真の」領主・城主になるために引き換えにしないといけないもの、或いは失うことで知ること。
ああ、怖い。政虎の日常の囲碁。井戸での語らい。そういうふつうの生活が脅かされる足音がひたひたと。今川の最後の足掻きに否応なく巻き込まれていく井伊があまりにリアルに感じられて、物語なのに自分の身が斬られているかのような感覚に、私はどれだけこのドラマに落ちてしまっているのだろうと、そちらの方が怖くなったりもしています。
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